明鏡   

鏡のごとく

「茅葺への道」

2017-02-27 12:57:08 | 詩小説
昨日は1日かけて、自分だけ先に仕事場近くに移住するための家を拝見しに行った。

子供達と夫は自由意志で、学びの場とも近しい方にいるということで、しばらくは行ったり来たりの家族生活となるであろうが、いずれにせよ、それぞれ自立していくものでもあるので、それが少しばかり早まったというだけであろう。

子供達への学費も生活費も賄うためのものなので、それも、含めての、それぞれの自立が必要ではあった。

彼らも自分の出来うる限りの事を自分でできるようになっていく時期に来ているということ。

家族として人として彼らのことを愛でることには変わりはないが、おそらく、自分だけ無性に寂しがることになりそうではある。
友達が近くにいることが救いであるが。

山奥に案内していただき、たどり着いたのは、茅葺の屋根に覆われたとトタンのお宅であった。

一部トタンに穴があり、時間との戦いがもう始まっていた。

井戸もかまどもあり、部屋も多すぎるくらいの立派な造りであった。

五右衛門風呂もあるということで、子供の時じいちゃんの家で入らせてもらって以来のものであり、心惹かれた。

ご先祖様のお墓も近くにあるらしく、ここに暮らしていた方々にとっては、安らぎの、安心することのできる長らく守り続けた場所であったのが、見て取れた。

川の流れも近く、昔は、木々に囲まれていたこともあり、炭焼きなども盛んであったという。

畑も、田んぼもあるので、すぐに、住める状態であったなら、すぐにでも移るであろうが、春先までに改修は困難であるのは明白で、空き家の時間が長かったことが悔やまれる、茅葺の半分眠った家であった。

こういった家を再生し、自分もそこに住むことで、また茅葺を生かしていく手立てを見つけていくことにつながるならば、自分にもできることではあるので、まずは仕事場に近いところで、それを出来うる力をつけて、ゆくゆくは、こういった時間との戦いの家にも手を入れていくということが、目の前にある、自分のできることであるという思いがますます強まってきていた。

家もどんどん年をとる。

人もまた。

時間との付き合いも、自分との付き合いも、これから、じっくりと深めていくことになりそうである。