帽子をかぶり続けている猫がいた。
遠くからいつもこちらを見ていた。
近づくと帽子は猫の毛でできていた。
と言うよりも、猫の毛の模様なのであった。
いつも一階の窓のサッシをそろりと暖簾をかき分けて入るように家に入っていく。
家に帰ったからといって
ただいまを言いながら帽子を脱ぐことはないだろうが。
土足で入ることなく裸足でそろりと入っていく。
帽子猫が今日も駐車場の横の花壇に座って待っている。
何かを待っているように見える。
人が来るのを見ている。
夜が来るのを待っている。
そうして星が出てくるのが合図のように家に入っていく。
昨夜、友達の夢を見た。
なぜか赤い服を着ていつものように微笑んでいた。
不意に猫のように家のコタツに入り込んで伸びをした。
背中に何か硬いものを入れているようにいつもどこか張り詰めているように見えた
彼女は私の中では生きているのだと思った。
もう三年も前に死んでしまっていたが。
彼女は猫のような人であった。
近くにいても遠くにいるような。
時々思い出したように葉書をくれた。
今は彼女からの美しい文字のつづられた葉書は届かないが
私の夢に出てくるようになった。
彼女は蝶々のような人であった。
茅葺の屋根を日々作り続ける場所にいても
花を求めて舞あがり舞い散る蝶々を見ると
蝶々夫人のような着物を着て死んでいた彼女を思い出す。
彼女は死んでいながら私の中でひらりひらりと生きながらえていた。
私は世の中にある美しく整えられた蜜に集まる蝶々のような人と同じところにいながら
そこから見事なまでに隔絶した茅の場で
肉体の感覚を増殖しながら体の思考で生きながらえている。
体を動し続ける毎日で体にものを言わせて思考し続けている。
すべての記憶を頭だけではなく体にまで染みつかせているような。
強く茅と屋根の骨組みとを結びつけるアバカの紐のような毎日。
思ったことを手繰り寄せて現実化しているのだね。
と別の友人から言われた。
これが私の現実であるならば
今離れ離れに暮らす家族にとって
私は現実にはそばにはいない存在で
時折夢に現れる彼女のような存在であるような気がしないでもない。
死んだ者の面影のような。
あるいは懐かしいどこか鄙びたセピア色をしたもの。
夫を亡くしたセピアという人が服を着替えず
夫を思ってだんだんと薄汚れて色褪せていったのがセピア色というものの背景であると
最近教えてもらったばかりであったが
私は茅葺のあるところで記憶をつなぎとめながら
色褪せながら肉体化し体ごとそこで生きてはいた。
セピアのように死んでしまった人と家族と友人たちを思いながら。
子猫のように愛くるしい子供が茅の屋根に登っていくのを目を細めて見ているように。
茅を駆けずり回る子供がまた
その茅の屋根を守り受け継いでいくように
心の中で色褪せてはいくものの
時の風味を醸し出すものと生きながらえていくのだ。
争いには飽き飽きしながら。
生きながらえていくのだ。
遠くからいつもこちらを見ていた。
近づくと帽子は猫の毛でできていた。
と言うよりも、猫の毛の模様なのであった。
いつも一階の窓のサッシをそろりと暖簾をかき分けて入るように家に入っていく。
家に帰ったからといって
ただいまを言いながら帽子を脱ぐことはないだろうが。
土足で入ることなく裸足でそろりと入っていく。
帽子猫が今日も駐車場の横の花壇に座って待っている。
何かを待っているように見える。
人が来るのを見ている。
夜が来るのを待っている。
そうして星が出てくるのが合図のように家に入っていく。
昨夜、友達の夢を見た。
なぜか赤い服を着ていつものように微笑んでいた。
不意に猫のように家のコタツに入り込んで伸びをした。
背中に何か硬いものを入れているようにいつもどこか張り詰めているように見えた
彼女は私の中では生きているのだと思った。
もう三年も前に死んでしまっていたが。
彼女は猫のような人であった。
近くにいても遠くにいるような。
時々思い出したように葉書をくれた。
今は彼女からの美しい文字のつづられた葉書は届かないが
私の夢に出てくるようになった。
彼女は蝶々のような人であった。
茅葺の屋根を日々作り続ける場所にいても
花を求めて舞あがり舞い散る蝶々を見ると
蝶々夫人のような着物を着て死んでいた彼女を思い出す。
彼女は死んでいながら私の中でひらりひらりと生きながらえていた。
私は世の中にある美しく整えられた蜜に集まる蝶々のような人と同じところにいながら
そこから見事なまでに隔絶した茅の場で
肉体の感覚を増殖しながら体の思考で生きながらえている。
体を動し続ける毎日で体にものを言わせて思考し続けている。
すべての記憶を頭だけではなく体にまで染みつかせているような。
強く茅と屋根の骨組みとを結びつけるアバカの紐のような毎日。
思ったことを手繰り寄せて現実化しているのだね。
と別の友人から言われた。
これが私の現実であるならば
今離れ離れに暮らす家族にとって
私は現実にはそばにはいない存在で
時折夢に現れる彼女のような存在であるような気がしないでもない。
死んだ者の面影のような。
あるいは懐かしいどこか鄙びたセピア色をしたもの。
夫を亡くしたセピアという人が服を着替えず
夫を思ってだんだんと薄汚れて色褪せていったのがセピア色というものの背景であると
最近教えてもらったばかりであったが
私は茅葺のあるところで記憶をつなぎとめながら
色褪せながら肉体化し体ごとそこで生きてはいた。
セピアのように死んでしまった人と家族と友人たちを思いながら。
子猫のように愛くるしい子供が茅の屋根に登っていくのを目を細めて見ているように。
茅を駆けずり回る子供がまた
その茅の屋根を守り受け継いでいくように
心の中で色褪せてはいくものの
時の風味を醸し出すものと生きながらえていくのだ。
争いには飽き飽きしながら。
生きながらえていくのだ。