妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

すいませんがコメントはご遠慮いただいてます。選挙公約に関する記事はカテゴリから「野田聖子批判」を選択してください。

高嶋伸欣・琉球大教授ら「市民グループ」 「教科書問題を考える道民のつどい」の主張は分かりにくい。

2005-04-24 14:04:23 | 教科書・日中問題

ここ最近の中国での反日デモとそれがイギリスやアメリカなどにも飛び火していることに関してはいろいろといいたいことがあるが、まずこのことの発端となったことの一つである、教科書問題に関して言うと、自分がこれのどこが問題であるのか分からない。

まず教科書をめぐってのこれまでの経緯についてあまり知らないし、教科書自体を見てないのだからなんとも言いかねるが、よく考えてみると検定を通ったばかりの教科書が国内でもそれほど今の段階で入手できるわけではないだろうし、海外でもあくまでも情報としてしかその中味について伝わらないわけであろうから、一体これはどういうことかと思うのが当然ではないだろうか。

しかし、この問題は今まで何度も似たようなことが起きているはずで、そのときも思ったのだが、この教科書が問題だという人は、まずこの教科書が検定で不合格になるべきだと主張しているのだろうか。

だとすれば、まず教科書検定というものを認めていてしかも、不合格にすべきというわけだが、合格になる教科書はこれに限らないのだから、その内容を比べてここがおかしいからこの教科書は使わないようにしようというのならまだ話は分かるのだけれど、たとえばこの教科書に反対している人の一人である、高嶋伸欣・琉球大教授は、扶桑社が検定申請本を教育委員などに事前に配布していたことを難詰して、「ルール違反をしていた教科書が検定を通るのはけしからぬ、内容以前の問題だ」といったことを言っているようなのは、ちょっとわたしには理解しづらい主張である。

詳しくはこちらをご覧ください

この教授の主張によれば、検定中の教科書は執筆者など以外見られないことになるので、不合格にすべきだった!という主張はありえても、不合格にすべき!!!という主張は成り立たなくなるのではないだろうか。つまりこうした人たちは、検定という制度は厳格に守ることを主張しているのだから、その内容を否定するとしても実際の検定に関して働きかけることはできない類の運動になるのはやむをえまい。なにせ検定中の教科書は外部の人間は見られないはずであるから。。。

だとしたら、大きなお世話かもしれないが、検定の是非を問う運動自体非常に難しい話であって、その教科書を採択しないようにする運動のみにしたほうがよいのではないだろうか。



もしかしたら、そういうことも考えて、「内容以前」と主張しているのかもしれないが、考えすぎだろうか。

むろん、この教授が主張していることを確かめたわけではないが、この報道を見て思いだしたのは、たしか以前教科書検定をめぐって文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたということをめぐってそれがウソだとばれたとき、朝日新聞は自分たちの言い訳の一つに検定申請中の教科書が入手できず、周辺取材に頼るしかないということを言っていたはずだ。

たしかにルール違反があれば、それはそれとして厳しくとがめるべきであろうが、これがどういう類のことであるのかというと、少なくとも朝日新聞は検定申請中の教科書が入手できないことは、報道の足かせになると考えていたのであろうから、そういうルール違反というのもある意味で重要な問題提起になるはずだ。

朝日新聞と高嶋琉球大学教授はあまりむすびつけて考えるべきではないだろうが、このことは思い出すに値することではないだろうか。

もちろんこのルールが破られたと時には検定は不合格にするという規定があるならそうすべきだとは思うが、今のところそういう規定などがあったという報道は目にしていない。

よくブログを書いてる人はひまだとか言う人もあるが、琉球大学の教授なのに、北海道に行くというのも、大学教授としても、わりと時間的に余裕がある人なのだと思うが、これは他にもそういう人がいるようなのでこの人ばかりは責められないが、「内容以前の問題」というのなら、もう対話もなにも成立しないのであって、こういう人は「市民グループ」とか、大学教授というのがふさわしいかは自分には分からない。

今朝、町村外務大臣がテレビに出るのを見たがはっきり言ってこれでは駄目というより、よくこれだけ言いわけがましいことを長いこと言ってくださったと思って、びっくりした。

アメリカのCBSのサイトでは「言葉では不十分」とか書かれているから、「中国が日本に謝罪」して、日本が補償を求めたのかと思ったら、それとはまったく逆で、中国が日本に謝罪だけでなく行動で示せといったらしい。しかも台湾の独立に手を貸すことなく、「一つの中国」という政策を支持するようにと希望したらしい。

とにかくたまげた。ここまで来ると何のための日中国交回復であったのかとさえ思う。

とにかく日中の共同歴史研究(どうせこれまた政府主導で新たに始まるであろうが)に「内容以前」などという人があらわれないことを望むとしか言いようがない。


つたない文ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。