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もはや野田聖子の玉音放送と化してしまった『報道ステーション』をはじめとするテレビメディア

2005-08-16 21:34:22 | 野田聖子批判

先日紹介した立花隆の論考(こちらです)の中で立花は小泉氏の「人気」に関して「毎日テレビにかこまれて、自分勝手な自己宣伝をすることが自由に許されるとしたら、誰だって、相当の支持を集めることができる」と主張している。

これはいわゆる番記者たちが公邸でおそらくは毎日インタビューしていることを批判しているのだろうか。


わたしは必ずしもすべての点で小泉氏の意見を支持するものではないが、どうもこうした小泉氏に対する批判は不当なものに思えて仕方がない。


今回の解散劇では、小泉氏のメディア戦略が批判されているようだが、有名人などに立候補を依頼しているところなどは反発を感じる点はあるものの、それほど小泉氏がメディアを巧みに利用しているとはわたしには思えない。

解散後の記者会見などもNHKを除けば一体どれだけTVで流されたのだろう。

番記者との会見もいつもぶっきらぼうとも思えるぐらい簡素な答え方しかしていないようであるし、(それもメディア戦略の一つかも知れないが、いずれにせよある程度のメディア戦略は首相がするのは当然であろう)それが最初から最後まで放送されたこともないのではないか。


むしろメディアをうまく利用しているのはいわゆる「造反議員」の方で、特に野田聖子の場合は目に余るものがある。

たとえば昨日の『報道ステーション』では夫婦で新幹線のなかでマイクを向けられた野田聖子はいろいろ夫がアドバイスしてくれるということを言っていたが、いやしくも大臣の経験がある野田聖子がなぜ鶴保庸介のアドバイスを請わねばならないのか非常に不思議で仕方がない。

選挙運動にしろ、マスコミの対応にしろ野田聖子も思いもつかぬ知恵と言うのが鶴保庸介にあるのだろうか。

あるのだったら鶴保庸介の方ももうすこしは有名になっていてもよいはずではないか。


さらに疑問だったのはこの夫婦が8月14日に靖国神社を一緒に参拝していることである。おそらく小泉の参拝を「期待」して多くのマスコミが陣取っていたに違いない。そこへ野田夫妻は参拝に行くことでさらにマスコミの注目をあびようとしたのではないか。


不自然なほどこの二人にとって都合のよい場面だなと思ったのはこの夫婦が靖国神社を歩いているところへ、いきなり中年男性がやってきて野田にたしか「郵便局員です、がんばってください」といったことだ。

野田はにこやかに握手しながら「誤解が多くてね」などといっていた。

わたしもそう(郵便局などに関して誤解があるということ、より正確に言えば自民党の郵政改革の必要性の主張の仕方に誤解を招く部分があるということ)は思うが、この場面はテレビ的にあまりにうまくできすぎていやしないか。


これがやらせだとは言わない。やらせだとしたらこれほどプロモーションビデオのようにうまくは行かないものだと思う。


しかし、その場面は他のマスコミはまだあまり野田にカメラを向けていなかったようであることなど非常に不思議な部分は多く、真相は分からないが、

いずれにせよこういう場面をまったく無批判に流すこと自体、完全に野田聖子のプロモーションビデオ製作かつ放映をテレビ朝日が請け負ってしまっていることになるのではないか。



こういう場面を流すぐらいなら何が郵便局に関する誤解なのかそういうことを少しでもインタビューなどで答えるべきだろう。


なぜマスコミはこれほどまでに野田聖子に肩入れした放送をするのかわたしには理解不能であるが、どうせ野田聖子の特集につぐ特集を放送するなら、申し訳程度に他の候補の名前や顔や短すぎるコメントを流すのも何の罪滅ぼしにもならないのでやめたらどうか。

それにしても野田聖子に声をかけた男性は鶴保庸介にはまったく声はかけなかったのにこの鶴保という人はなぜこの男性に会釈していたのだろう。


ようするに鶴保庸介は郵政民営化には賛成だけれど、妻の応援をしにいくことでテレビに写り、有名になることで、来るべき自分の選挙にも優位を図ろうと言うことではないだろうか。


「テレビやマスコミというのはそういうものだ」といってしまえばそれまでだが、とにもかくにも残念である。

「毎日テレビにかこまれて、自分勝手な自己宣伝をすることが自由に許されるとしたら、誰だって、相当の支持を集めることができる」というのは小泉氏よりもむしろ野田聖子に当てはまる。

               文中一部敬称略