妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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疑問だらけの野田聖子の講演1地元の高齢者の人はサイトを見てるのか?

2005-08-20 23:59:12 | 野田聖子批判

野田聖子のサイトにはある講演の内容が載っている。

一気にそこへいけるか分からないのだが、TOPのページから「最近の講演・シンポジウムから」→  ついで
「政治が変わる、女性が変える~少子化対策をもっと真剣に 男女参画社会へ男性も声を~第315回中日懇話会(2001年9月14日)」というところをクリックしてほしい。


ずいぶん前の講演ということになるが、野田聖子のサイトには驚くほど論文のたぐいが少ないのでこういうものでも目についてしまう。

テレビなどによく出る割には本当に具体的な政策の少なくその中味も自分には分からないところが多い。

またマスコミにはよく出るものの批判されることは全くないといってよいのではないか。


なにかというと「初の女性総理」になれそうだとか、「造反議員のマドンナ」などともてはやされているが、その中味はそう呼ばれるにふさわしい人なのかよくご覧になってほしい。

もちろん自分にも誤解などはあるかもしれないので全体的な文脈などは野田のサイトで確認してわたしの批判が適確かどうか見る人にはもちろん各自で判断されたい。


まずこの講演ではテロに関する考え方が信じられないのだが、それはできるだけ近いうちに論じることにする。


野田の講演の中で目立つのは以下のくだりである。



  二つ目には国会議員にオヤジが多過ぎること。産み育てることの大変さの自覚がない人が多過ぎる。基本的にはお母さんが子供を育てているのだけれど、その苦労が分からない人が多いので、非常にとんちんかんな少子化対策がはびこった。



つまりここでは野田はオヤジは駄目だと断言しているのである。

たしかに中年男性(オヤジをやや丁寧に言うとこうなるだろうか)は若い女性の苦労は分からないかもしれない。

国会議員に中年男性が多いことはたしかであるが、だからと言ってそこまで中年男性を罵倒していいのだろうか。

野田聖子を迎えた地元の自民党の人たちはわたしがテレビを見た限り中年男性が多いようであったが、野田はここに書いてあることをその人たちに言ったのであろうか。


あるいはそこにいた中年男性たちは野田のサイトにあるこの講演内容を読んで野田の支持を固めたのだろうか。

わたしにはそうは思えない。ようするに野田の政策や発言をまじめにチェックしてはいないのではないか。もしチェックしていたらこういう政治家を支持できる人は少ないのではないかとわたしは思う。

部分的な引用になるが野田は「想像してください。七十歳のおじいさんと十六歳の男の子、どっちがご飯を食べますか」などと言って、以下のような結論をだす。



 つまり今問題は、お金を使わないところにお金がずいぶん行っていて、そこにたまっている。お金を使いたいと思っているところにお金がない。さらにはお金を使える世代、お金を使って消費をする世代というのが減ってきているということなんです。


野田は「こういう根本的な日本の姿を国会でだれも問い掛けてくれたことがない。私ぐらいしか言ってないんです」というが、こんなことはあちこちで聞いていてだれが言ったかを指摘するのも難しい気がするが、野田は全ての国会質疑をチェックしているのだろうか。


その点はあえて問題にしないが、野田は以下のようにも言っている。



年金というのは貯金するためにあげているのではなくて、使ってもらうためにあげているんだという意識をもう一度持ってもらうこと。それが高齢化社会に向けて必要なんじゃないかと思うわけです。使ってもらうためにあげているのに、貯金されちゃったら郵便貯金も困っちゃうんです。そんなにお金要りませんから。



この引用の直前にこれと同じことを言っていてお金を使わなければ小泉に怒られるということを冗談めかして言っているのであるが、ようするにこの部分は小泉氏と意見が同じであろうということか。


たしかにこれは真実であろうと思う。

高齢者に限らず日本は貯蓄率が高いと言うことは確かであろう。野田はこうした貯蓄率の高さの原因として以下のように言う。


だけど日本国政府の上手な情報操作によって何だか高齢化社会というのは暗やみだと、地獄だと、ならくの底だというようなイメージを私たちは持ってしまっている。


わたしには野田自身のこの講演そのものが高齢化社会のイメージをひどく暗いものにしてしまっていると思われてならない。

わたしが引用したところをもう一度引用してみる。



国会議員にはオヤジが多すぎる。


あるいは


お金を使わないところにお金がずいぶん行っていて、そこにたまっている。



これも高齢化社会を暗いイメージで固める発言ではないだろうか。



わたしの記憶が正しければ、野田が地元である一軒家を訪問している姿がテレビで映った。「ばあちゃん、きたよ」などといっていた。


まずこういうわたしから見れば。「戸別訪問」に当たるものが合法的なものかわたしにはいささか疑問がないではないが、その点は今は問わない。

問題は野田がそこでどういう話しをしているかである。

「貯金しないでお金を使わなきゃ駄目ですよ」などと言っているのだろうか。


そんな非常識な話はない、とわたしは思う。人がお金を使おうが貯金しようがその人の勝手だと思うからだ。またお年よりはとくに近い将来高い医療費や介護に金がかかる場合もある。


そういうことを考えて貯金していたとしてもそれは仕方のないことだと思う。

野田は今回発表した公約の中で「世代間扶養は社会の構成員としての義務であり、高齢者に対する感謝と敬意を表すあるべき姿勢」というのをかかげている。


いま取り上げた講演内容を見たわたしには非常に意外な公約である。

そしてその公約には以下のような一説もある


「高齢者」の定義をより柔軟に。「高齢者施策を受けない自由」も検討する。


これは一体どういうことなのかよく分からないが、ようするに高齢者のところには金が行かないようにするということなのだろうか。

今後のさらに具体的な公約の発表を待ちたいと思う。

いずれにせよわたしには野田聖子は高齢者を尊敬するよりいじめそうな政治家だという印象はぬぐえない。
            
                 文中敬称略