あまぐりころころ

主に漫画やゲーム等の感想や考察を。
時に旅行記等も交えながらの、のんびりのほほんブログ。

『食戟のソーマ』第204話ちょこっと感想

2017-03-04 11:37:33 | 食戟のソーマ
 早くも三月となりました。
 栗うさぎの地方でも、確実に日差しの温かさが増してきました。
 まあ、まだまだ油断は出来ないものの、春の訪れはやはり嬉しいものです。(^^)





 さて、今週の『ソーマ』の感想にいきましょうか。



 と、そのまえに。

 今週号の『ゆらぎ荘の幽奈さん』の感想をばひとつ。

 これほど様々な笑顔で読めるラブコメはそうは無い。

 コガラシくんと幽奈さんの可愛さやピュアさにほっこり笑顔になり。
 この作品の「ノルマ」に苦笑いさせられたり。
 真っ赤にテンパる二人のコントに笑わされたり。
 とにかくずっと笑みを絶やさず楽しむことが出来ました。

 特に最高だったのは「コガラシさァァん!?」「幽奈アァア!?」という二人の心の叫び(大笑)
 夫婦漫才ならぬカップル漫才ってこういうのを言うんだね。

 必死に頑張る二人がもうあまりにも微笑ましすぎて、私も「がんばれ~っ」と応援せざるを得ませんでした。
 でもそこまでの羞恥に耐えながらも、女の子からのアプローチに頑張って応えてくれるコガラシはやっぱり滅茶苦茶いい男です。
 おずおずと差し出す幽奈の手を積極的に握ってくれたり、デートに協力してくれるのは自分を成仏させようとしているから・・・という幽奈の内心の落ち込みをきちんと見てくれていたり、「カップル」のやり取りに憧れつつも気を遣って諦める幽奈に自分からアプローチしてくれたりと、本当にコガラシはこれなら女の子達が惚れるのも当然とごく素直に思える奴なんですよね。
 コガラシほど女の子の気持ちを“見て”くれて、そして汲んでくれる男はそうそういませんね、間違いなく。

 う~ん。やっぱり良いな~このペアは。
 この作品の女の子はいずれも確かな魅力を持つ子ばかりなので、コガラシと誰がペアになっても相応の素敵なやり取りは見られるものの、やっぱり幽奈とのやり取りが一番微笑ましさやギャグ、切なさやシリアスといった、恋愛における様々な要素をバランス良く描くことができると思うんです。
 当初の目的を忘れるくらいデートを楽しめていたということからも、二人がいかにお似合いかが窺えますし。(^m^)

 そんな微笑ましさ一杯の回でしたが、なにやら次回は幽奈の謎が明かされるようで、結構気になる引きとなりました。
 幽奈の謎にはコガラシも関わっているに違いないと考えている私ですが、それが遂に作中でも公言されることとなるのでしょうか・・・?





 でもって『ソーマ』の方はといえば、まず今回言うべきはこの一言でしょう。

 

 

 よくやったえりな!!(Σd(><))

 

 

 髪を払うというえりなのこの仕草は、彼女の虚勢や見栄、誇示、自己演出といった意味合いを示していましたが、これまで何度も見せていたその仕草を今回は見事にプラスのイメージとして表現させていたのは流石としか言えませんでした。
 ひたすら“頂点”を目指してきたえりなにとって、十傑の席というものは自身にとって大きなステータスであった筈。
 人一倍こだわっていた「名誉」や「権威」を手放してでも、今のえりなにはそれ以上に大切と思えるものがあること。
 それが仲間達の絆。
 改めて言いましょう。
 本当に成長したなあ・・・。
 

 

 その一方で創真はといえば。

 その発言のほぼ全てがどうでもいいことばかりでした。まるでモブキャラのよう。
 特にひどかったのは、「えりなは薊にくそ弱い」という発言。
 何を今更そんなことをわざわざ口にする必要が?
 えりなが薊に逆らえない事はもう既に一年以上も前から、何度も何度も重ねて描かれているんですよ?
 読者がとっくに承知しているその事を、わざわざこの場で改めて言わせる(説明する)必要は全くなかったと思います。
 お陰で創真のキャラクター性が薄っぺらくさえ感じられてしまいました。



 でも。



 そんなのは些末なこと。



 私が最も許せなかったのは。



 薊の「忌まわしき定食屋も消滅する」という発言。

 

 

 

なんで創真は
 反応無しなんだよ?

 

 

 

 何度も何度も言ってますが、『ゆきひら』は創真にとって特別に大切な場所であり、自身の原点であり、アイデンティティーにも大きく関わる超重要な場所です。
 普段はへらへら飄々としている創真が、唯一怒りを露わにするもの。
 それは己の実家『ゆきひら』を侮辱されること。
 この事は連載開始当時からずっと一貫して示されていたものです。

 なのに!

 ほんの欠片の描写さえ無かった!!

 これはあまりにも見過ごせません。
 ほんの一言でも。ほんの小さな一コマでも。
 キャラクターの「反応」を描写するかしないかで、読者に与える今後のストーリーやキャラクターへの説得力は大違いです。
 この作品のことですから後でフォローを入れてくれるかもしれませんが、「その場の説得力」がここ最近低迷している中で、これは大きな配慮不足にしか思えませんでした。

 う~~~。

 う~~~む・・・。

 う~~~むむむ・・・。
 
 それでも敢えて。
 敢えて考慮するならば・・・。

 薊のこの発言後すぐにタクミが反論していたせいでしょうかねえ・・・。
 このタクミの発言に、創真は追随していたわけですが・・・。
 これは第194話でも似たような事がありましたよね。

 ハッキリ言って
 しばらく「少年漫画の主人公らしい姿」を担うのはタクミになるでしょう。
 仲間想いで。真っ直ぐで。熱い。
 そんな正当な姿勢でタクミはチームを引っ張ってくれると。

 対して創真はというと・・・ひょっとしたら
 「少年漫画の主人公としてはそぐわない姿」が露わになるかもしれません。
 そう予感するぐらい、私は今回の連帯食戟に対して身構えています。



 これは第192話を読んだ時から感じていた事なのですが・・・。

 ・・・大変言いにくいのですが・・・。


 創真は、「仲間を助けたい」というタクミやえりなや恵とは少し違った考えを持っていると思うんです。


 創真はタクミから「(薊派なのか反対派なのか)どちらの肩を持っている!?」と問われてましたよね。
 あの時創真は何気なくその問いをかわしていましたが・・・

創真はどちらの肩も持ってはいませんよ。


 そこが『幸平創真』という人物だと私は思っています。
 薄情なまでに公平。
 非情なまでにドライ。
 「少年漫画の主人公」としては失格と思われかねないまでに。

 そういう面も含めて、私は創真に惚れてますけどね。
 創真は“まだ見せていない顔”がまだまだたくさんあると。

 
 作者側のそういう狙いがあったため、今回も創真は正当的な発言や姿勢が描かれなかった・・・、という解釈も出来るんですよね。一応。
 でも例えそんな狙いがあったとしても、今回の創真の描写は余計な事は入っているのに肝心な部分が抜けているという不快感があったのは否めません。
 えりなの描写は文句無しだっただけに、そこが尚更残念でした。





 ・・・切り替えましょう。

 こうしてはっきりとえりなから反発されてしまった薊ですが、果たして次回どう出るのでしょうか。
 可能性としては
 ①単純に激怒。
 ②表面上は余裕ぶった態度なものの、後で爪噛み(勿論手袋の上から)。
 ③勘違いが加速。
 といったところでしょうか。

 私としては③を予想します。
 薊の最も恐ろしいところであり最も厄介な点は、自分の考えは絶対に正しいと素で思っているところなんですよね。
 だからえりなが自分に離反するなんて素で認められないでしょうし、反対派の言い分も微塵も気に留めていない。
 そんなわけで今回のえりなのれっきとした反発も、ま~た自分勝手に解釈しちゃうと思います。
 なにせ薊は城一郎が学園を離れてから約20年以上経とうとも、全然変わらなかった奴ですから。 

 でも、もしえりなが自分達と闘うことを認可したならば、多分[神の舌]の使用の禁止を要求してくるかも。
 それぐらいえりなのその能力は敵に回すと厄介な力でしょうからね。

 


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