なんやかんやで新年度が始まり、早くも一週間が経ちました。
新社会人の皆さん頑張ってますかー?
新入生の皆さんもファイトですよー。
新しい環境は不安や戸惑いだらけでしょうが、それはある意味で気持ちが新鮮な証拠。
そんな気持ちも楽しめるように頑張ってくださいね!(^^)
そしてこのブログも、新年度ということで気持ちも新たに原点回帰。
去年の末からずっと時間の無さを理由に「ちょこっと」にしていた『食戟のソーマ』の感想記事を、以前の書き方に戻したいと思います。
とはいっても。
まんま同じに戻すわけではなく、少しばかり変更点も。
その変更点はというと、
細かいツッコミを述べていた前半部分を大幅に短縮しようかと。
これは『ソーマ』に対する私の熱がだいぶ落ち着いたというのが大きな理由です。
ゲームや漫画など、作品に対する熱が高ければ高いほど事細かく語りたくなってしまうのが私の昔からの癖なんですよね。
でも、その一方であらすじをあまりにも詳細に書きすぎているなあ~と前々から危機感も抱いていたんです。
初期の頃の私の感想記事なんて、ネタバレとして出版社に訴えられてもおかしくないレベルですよホント。(orz)
これまではその熱をコントロールできずに暴走してしまう時も多々ありましたが、4年以上この作品に付き合ってきてようやくその熱が落ち着いてきたこともあり、今回を機にこの形に踏み切った次第です。
そういうわけで、全体の文章量は減少するでしょうが・・・
感想や考察自体はこれからも全く変わりません。
適度に考え、適度にバカになる。これが私の生き方なので。
こんなブログですが、宜しければ今後ともどうかよろしくお願いします。
週刊少年ジャンプ2017年17号掲載
掲載順第10位
第208話 【地に足つけて】
なんか久し振りな気がするカラー扉絵。
なんででしょう?
以前のセンターカラーが本編内だったからでしょうか?(第203話)
そんなカラーはというと、ビシッとキメてる一色先輩。
裸エプロンもしくはふんどしというイメージが強すぎる一色先輩ですが(大苦笑)、たまに見せるキメ姿は文句なしの格好良さです☆
背景の煽り文といい、なんとも頼もしいですね。
ようやく明かされる紀ノ国寧々の背景。
クールビューティーで生真面目な優等生。
これらの要素はえりなと共通しているなあ・・・と以前から思っていましたが、更には名家の出身であるが故に英才教育漬けの幼少時代だった、という点も同じだったとは。
ですが、ここからが大きく違ったわけです。
えりなは自分を抑え込んであらかじめ用意されていた環境にただ従っていましたが、紀ノ国寧々は生来の性分と用意されていた環境が丁度良く適合していたという。
自ら望んで、置かれていた立場を邁進したこと。努力を苦に思わない根っからの努力型であること。
これらの要素は創真と共通していると言えましょう。
それと、どうでもいい事だけどなんで大正琴?
普通のお琴でよかったのに。
むしろ大正琴じゃなくてお琴を弾く姿の方を見たかったのに~。
そんな長年の努力を積んできたという自負もあり、紀ノ国寧々は創真に自分には勝てないと断言。
「積み上げてきた時間と歴史 それは君には無いものだわ」
はあ?
待って。
なんでそう言い切れるの?
創真の事をほとんど知らないアナタが。
言っときますけど。
創真にだってありますよ。
ある意味アナタ以上の「積み重ね」が。
そんな私情のせいか、般若のオーラに「うっわ~薄っぺらい演出☆」と思ったのはさすがに内緒。(附田&佐伯先生ごめんなさいすみません)
まあそんな怒りもすぐに解消しましたけどね。次ページの創真の表情ステキだったから♡(←今年度もアホです)
思い返す創真。
特訓時に城一郎に言われたことを―――
当時は「大切な人に向ける情熱の差」という精神論で説明されていた、秋の選抜時の創真の敗因。
それを今回、「専門特化における経験値の差」という現実的な理論で説明し直されていたのは良かったですね。
確かに葉山は限られた分野においてのスペシャリティータイプであるのに対し、創真はあらゆる分野を用いるオールマイティータイプ。
作中でも度々言われていますが、長年かけてその分野に対する知識・技術を極めてきた者達と比べれば、機転や発想を主体とする創真のやり方は「付け焼刃」レベルの浅いものです。
そんなわけでですね、創真さん。
「ぐいっと」なんて考えで勝てる程勝負の世界は甘くないよ。(創真至上主義者な私でも言うときゃ言いまっせ)
そんな創真に城一郎は気付かせてくれます。「創真ならではの積み重ね」を。
それは何かというと
「定食屋であること」。
そのとーり!!!
よ・く・ぞ・言ってくださいました城一郎!!!(拍手)
そうです!!これを私も言いたかった!!
これこそが誰にも負けないほどの「創真の積み重ね」です!!
城一郎の言葉が紀ノ国寧々の発言を取り消してくれていた事もあり、自信を持って「自分らしいそばを創るだけ」と返す創真。
というわけで
ぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐる♪(なんかいいリズム♪)
そんなマイペースな創真のやり方を観衆達は思いっきり嘲笑いますが、えりなや紀ノ国寧々や薊など、一部の実力者達は創真の意図に気付きます。
なるほど・・・!!
余談ですが、私の地元って中華そばも含めてそれなりに蕎麦が有名な所なんですよね。(お蕎麦屋さんが車で5分以内の範囲に必ず一軒はあるレベル)
なので私も幼い頃からしょっちゅう蕎麦を口にしてきたわけなんですが、蕎麦通の人がよく好む十割蕎麦の美味しさが理解できなかったんです。
少なくとも私には「ボソボソしている」としか感じられなくて。
私は麺類に関しては香りや風味よりも食感や喉ごしを重視するタイプなこともあり、十割蕎麦よりは二八蕎麦を好んで選んでいたんですよね。
そんな経験もあって、今回の蕎麦の解説は物凄く腑に落ちました。
黒木場VS楠戦の時の「不均一の理論」にも非常に納得させられましたが、やはり実体験が引用された説明は説得力が半端ないですね。
「自分らしい蕎麦」。
創真にとってそれは
万人に開かれた美味しさを持つもの。
・・・・・!!!!!
遂にきた。
遂に辿り着いてくれました。
創真が。
この考えに。
いえ、もともとその因子はとうに創真の中にあったのですがね。
それが遂にこういった明確な信念として形になってくれたんだなあ~と。
うう、ちょっと感動。(><。)
この創真の、創真らしい「分け隔てない信念」というものが最初に示されたのは秋の選抜の美作戦(第88話)が最初だと私は思っています。
―――色とりどりの味や素材が一皿に集結している―――
それが己の料理であると考えていた創真。
あの時は“食材”という形でしたが、その気概はいずれ“人”に置き換えられるであろうという予感はしていました。
そして、その気概はこれから更に拡がるはず。
だからこそあの考察記事を書いたんです。
地に足の着いたやり方で確実に紀ノ国寧々の背後に付いている創真。
紀ノ国寧々を追い抜く要素はこれまで通り「発想力」になるのでしょうか。
それとも・・・?
今回の話は凄く満足度が高かったです。
ほぼ満点でした。
こんなにも満足感が得られたのは城一郎の指摘や創真の気概もさることながら、紀ノ国寧々が嫌悪感の無い振る舞いをしてくれていたというのも大きかったです。
これまで登場してきた十傑は、叡山や久我など、初っ端から主人公達を見下し口汚く侮辱する輩ばかりで「敵役ながら敬意や好感が抱ける良キャラ」というのがほとんどいなかったんですよね。
そのこともあって、無闇に創真を卑下せず、油断することなく冷静に向き合ってくれている紀ノ国寧々の姿勢は見ててかなり清々しいものがありました。
久し振りに素直に敬意が抱けるキャラですね。
うん、これからは「寧々先輩」と呼ばせてもらうことにします。
寧々先輩の強キャラ感といい、そして創真の気概といい、これはとても良い意味でどちらが勝つか分からない勝負になってくれていますね。
いいですね~、勝敗の行方が気になる面白い展開です♪
しかしながら、寧々先輩には不快感が全くなかったものの、その一方で相変わらずクソうざい煩わしかったのが観衆達。
この観衆達の不快感のせいで今回の満足度が「ほぼ」に抑えられてしまいました。
早く創真達にこいつらを黙らせてもらいたいものです。
そんな今回の観衆達の罵声はハッキリ言って完全に自虐発言ですよね。
「敵うわけない」「諦めた方が傷つかない」
それって自分達の事言ってんじゃないの?としか思えませんでした。
明白な敵感、主人公の逆境感というものは確かに少年漫画においては必要なものかもしれませんが・・・観衆達も「学生」である以上、いい加減“成長”させてもらいたいところです。
そういえば、創真は今回のサブタイの通り「地に足を着けた」調理を行ってくれていましたよね。
奇抜な発想から「飛び道具」と評されがちですが、その実はきちんと自分の身の丈に合ったやり方を選んでいるんですよね、創真は。
むしろ地に足を着けていないやり方は、薊の教育法の方だと思います。
自分の考えや得意なこと、自分だからこそのやり方も全て曖昧なまま、ただ上位実力者の高等技術を模倣するだけ。
そんな背伸びしたやり方は地に足を着けているとはとても言えません。
第一次進級試験の際の生徒達の姿が何よりの証明です。
連載が長く続けば続くほどブレがちになってしまうのが、主人公の「初心」。
それを今回改めて提示してくれたのは個人的にとっても嬉しかったです。
そうでしたよね~。
編入時にエリート揃いの中で生き残れるはずがないとえりなに否定された際、創真の自信が全く揺らがなかったのも長年定食屋という“現場”で闘ってきたという自負があったからこそ。
様々な人や世界との出会いが続く中で己の世界が広がっていたぶん、この“礎”を改めて創真に認識させてくれたのは非常に良かったと思います。
その役を担ってくれたのが城一郎というのも、これ以上なく最適な人選でしたね。
城一郎は誰よりも創真の“積み重ね”を傍で見てきた人ですもの。(^^)
そして。
今回示された「万人に開かれた美味さ」という創真の信念は、「限られた人間だけで価値を共有すべき」という薊の信念と真っ向から相反するものでもあるわけです。
はい、勿論私はあの時の感想記事の最後で述べた通り
創真の考えに賛成です。(⌒▽⌒)