御嶽宿から細久手宿へ向かって歩く、旧中山道の山の中で
グーグルマップで目に留まったのが
美濃小原城址
戦国時代の山城らしい…
となれば…なんせ
私「城マニア」でありますので…
それも…ただの「城マニア」ではなく…
石垣や土塁などの遺構をみて
古の戦国ロマンを妄想するのが…楽しみといった…
妄想の中で
築城し放題…
妄想の中で…
姫に囲まれ放題???といった
「妄想城址マニア」
ですので、もちろん登っておきたい…
ここまで随分歩いてきて、若干お疲れ気味であるけれども…せっかく近くに城址がみえるなら、ぜひ立ち寄っておかなくちゃ!
場所は美濃御嵩小原地区
この小山…手前に白山神社があって、その奥山一帯が
美濃小原城址
田園の中に、小さな祠が残ってて…戦国時代は、ここはどうだったんだろうと、妄想城址マニアにはタマラナイ光景!
小原城について詳しいことは分かっていないらしいけど、「御嵩町史」によると、「小里記」の記述から城主は小倉織部氏であったとか…小倉氏は普段は山麓の小倉屋敷で生活し、小原城は緊急用の山城であったよう
小原城主とされる小倉織部については、1552年、御嵩城主であった小栗信濃守とともに土岐郡の高山城を攻めたときに、最終的には武田晴信(信玄)の幕下に属したと「濃州小里記」に記されているとか…
でも、武田方の美濃高山城主の平井頼母により築城されたという説もあり、はっきりとはわからないよう…
小原地区では、キリシタン信仰にまつわる遺物が多く発見されており、この地が密かにキリシタン信仰をしていた「隠れキリシタンの里」であったようで、城主小栗氏一族も、これに関わっていたのかも
さて、城址の入り口は、この白山神社の鳥居をくぐって…
この石段が急で…急で…早速、ハーハーゼ―ゼ―、これがけっこう長くて高くて、もう階段落ちしたら生きては帰れないほどの急な石段…
これじゃあ、はくさん(白山)神社じゃなくて、石段が「たくさん神社」じゃないかと、そんなしょーもないオヤジギャグがすぐには心に浮かばない程、ハーハーゼ―ゼ―
振り返れば…御覧のように…もう枯れ葉に足を滑らせたら大変
さらに登る…ハーハーゼ―ゼ―
登っては休憩がてら振り返る
さらに、登って、何も面白くないのに、膝が笑ってる!!
やっぱり…振り返る!!
いやあ、よく登ったもんだと大爆笑の膝を褒め称えて
目前には
見事な石積みの上に、白山神社拝殿…
その手前には阿吽の狛犬
狛犬の逆立った毛が、石積みと同化してますなあ…
由緒書きは見当たらないけど、白山神社ってことは、ご祭神は菊理媛大神(白山大神)さまでしょう
安全に…城址探索ができるように…ヤマトマダニに刺されることのありませんようにと、二礼二拍手一礼
拝殿から、真下を覗いただけでも、いかに石段が急なのかがお分かりでしょう
拝殿の廻りには境内社がいくつか…
どんな神様がいらっしゃるかは、名札が消えてて、判読不能
この神社の拝殿左側奥に
小原城登山口が整備されていて
ハイキングコースとまでは行かないけど、獣道以上の分かりやすい人の踏んだ感じのある小径があり、かつ、御覧のような緑色のロープが張ってあって、分かりやすく整備されていました…
そして丁寧な案内看板も…
ここらあたりが「東出丸跡」
もう廻りは木々に囲まれていて「東出丸跡」といっても、眺望は全然
堅堀跡
ちょっと草で覆われて分かりにくいけど、肉眼なら堅堀跡が確認でき、城址マニアにとってはテンションの上がる瞬間
堀切…二重になっている感じが伝わってくる
こんなわかりにくい小径…でも緑のロープがあるから大丈夫
曲輪跡
そして、ついに着きました…主郭跡
この小原城のあった小山のてっぺんまで登ったものの、全然眺望は、これっぽちもみえません!
詳細不明の石碑…なにも刻まれてはいないような
ここにも石碑が
これまた判読不能…でも、こちらの石碑にはなんやら刻まれている跡がありました…
腰曲輪跡
主郭の横に繋がる
曲輪跡
もうこの真下は、ほぼほぼ敵が登ってこれないような地形…小原城は戦国時代の山城で、石垣なんぞはなく…自然の地形を生かした防御の構え(空堀や土塁など)をしています
実は、この辺りで迷いまして…迷いまして…緑のロープが見当たらない…
そもそも私…山城でも方向音痴なのよ!!!
足の疲れもあり…棒のようになりつつあって…かつ、ここまでくるのも…ハーハーゼ―ゼ―いっていたし、廻りに誰もいないし、ひょっとして遭難するかと、「おー、ハラハラしたわー」
「おー、ハラハラ…」
「おー、ハラ…」城…だけにね…
主郭に無事戻れて、緑色のロープを見つけてやれやれ…助かった…笑
安堵感と共に感じる空腹感
「おー、ハラ減った…」
あの…その主郭よりも、小原城に昇り始めた鳥居からの眺望の方が、ウンとよかったような