名鉄広見線、御嵩口駅近く
国道21号沿いにある
「鬼の首塚」
ここには、鬼の首が埋められているらしい??んだな…
鬼と言っても、犬山の「桃太郎神社」にいた鬼ではなく
お時間あれば、こちらのブログもどーぞ!
憧れの…憧れの…桃太郎神社に行ってきた!!…嬉!!
鬼と言っても春日井市にある「鬼ヶ島公園」にいる鬼でもなく…
お時間あれば、こちらのブログもどーぞ!
「鬼」退治に??春日井市の「鬼ヶ島公園」に行く!!
こちらの「鬼」は御嵩町の願興寺に残る寺記「大寺記」に
約800年前(鎌倉時代)、凶悪で悪業三昧の男が鬼岩の岩窟(今の鬼岩公園)に住み、乱暴を振るうなど地域の村民を苦しめていたそうな
この者は西美濃「不破の関」の生まれであったため、
村民は、この「鬼」のような男(野盗・山賊だったかも知れない)を「関の太郎」と呼び恐れていたとのこと
そこで正治元年(1199)、人々はこの地の地頭である盛康に、この惨状を訴え、退治してもらうこととなったものの、盛康は京の地にいて、すぐには、帰ることができなかった…
そこで武勇にすぐれた四人の家来(川原三郎、末国四朗、浦野宗行、長岡兵衛)に「関の太郎」の退治を頼み、御嵩の地に帰したとか
ところが、なかなか「関の太郎」を退治することができない…
そこで、蟹薬師(願興寺)に祈願したところ、「関の太郎」が女装し祭礼に来るとのお告げがあった…「薬師の祭礼の日に太郎は必ずやって来る」
そこで、その祭礼には「村人の手のひらには朱印を押して通らせるようにした」
そうすれば、祭礼に来た人の中で女装してても「関の太郎」をみつけることができる…
祭礼の日、何も知らない太郎は変装してやってきた…
しかし、彼の手のひらには朱印がない…変装は見破られ慌てて逃げ出すものの、薬師如来の神通力で足が動かなくなった「関ノ太郎」を捕え、打首に…
四人の者は太郎の首を首桶に入れ、検分のため都へ運ぼうとしたものの、急に首桶が重くなり一歩も進むことができなくなる…
その際、首桶を縛っていた縄が切れ、中から首が転げ落ち、落ちた首さえも動かすことができなくなったため、首をこの場所に埋めたんだとか
それが「鬼の首塚」の由来
鬼首塚と関ノ太郎首塚の石碑が並ぶ…
鬼首塚の石碑も関ノ太郎首塚の石碑も新しめな感じがする
関ノ太郎はこんな顔をしてるどころか、角まで生えていたんだろうか
首塚のある辺りを「桶縄手」と呼び、
木曽海道膝栗毛の十返舎一九も、この地のことを詠んだ歌を残しているようで
「桶縄手 今もその名を 朽ちさりき 塩漬けにせし 鬼の首かも」
そんな悪事を働いた鬼なのに…
現在、関ノ太郎は「鬼神魔除」と神様のように、扱われて土地の守護神になってるんだって???
なんとも不思議な感じ…
でも「神」と「鬼」は表裏一体って言うからな
この首塚のすぐ横に正岡子規が呼んだ歌碑が
「草枕 むすぶまもなき うたたねの ゆめおどろかす 野路の夕立」
ここは、学生時代、受験勉強で明け暮れた頃??の学校生活を思い出して詠ってみよう!!
「きさま、こらー! 寝ぼけまなこで ウトウトと ゆめおどろかす 先生、そこに立ち!」
(授業中、居眠りしてたら、怒鳴られ叱られたことよ!!)
10代の頃を思い出し、なかなかいい短歌ができたと、まるで「鬼の首を取ったかのように」ご機嫌の私なのです…
それにしても、あの時の理科の先生、形相がもう「鬼」そのものだったな…確か「関野先生だった…」と思うけど…???
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