はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。思考・発表・文章にする・を柱に、ディベート・俳句アクティブラーニング・ビブリオ・ロールプレイングなどを取り込んだ授業をします。ブログは毎日更新しています。思ったこと・体験したことなどを文章にすることは、すべて「こくご」です。
「こくご食堂」本日調理する食材は、[9回も]です。
12月2日(土)の読売新聞朝刊に、この記事がでていました。
なんだ?というのがまず最初の感想でした。鴻上尚史さんといえば、NHKのクールジャパンなどの司会や演劇で活躍される方です。その方が戦争についてかいた本。それにびっくりしていました。しかし、もっとびっくりしたのは特攻兵が9回も生還しているという点です。さっそく書店に行って購入しました。
鴻上さんは、この内容で小説を書かれているようで、ストーリーは半分小説のような文面です。前半部分で、特攻兵で9回生還された佐々木友次さんという方の上司にあたる、岩本益臣さんとう方のご夫婦のことがかかれています。陸軍士官学校を卒業した28歳の岩本さんと、結婚したばかりの23歳の若い奥様との別れの夜の場面です。泣いてはいけないとお互い我慢しているのですが、夜になってどうしてもこらえきれず二人で泣いているのです。この時岩本さんは特攻をしらされています。私は電車に中でしたが、この内容を読んで泣いていましました。この岩本さんは、特攻兵としてぶつかって命を全うすることよりも、飛行機から爆弾を落として帰還することを、佐々木さんたち若い特攻兵に伝えます。それは、軍隊にそむくことです。しかし、この岩本さんは、出撃する前に上司に宴会に呼ばれ、その為の飛行中にアメリカ兵に撃ち落とされてしまいます。
そして佐々木さんは、何度も危険な目にあいますが、9回の出撃のうち1回は相手の戦艦に爆撃をして帰還しています。佐々木さんのお父様は日露戦争に出兵して、帰還している方です。小さいころより、お父様より「生きて帰ってくるんだ」とお話されていてそれがよりリアルに感じられていたのだと思います。しかし、死ぬのも地獄、生きるのも地獄。佐々木さんは、特攻兵として名誉の死を遂げたと、生まれ故郷では盛大な葬式がひらかれています。終戦を迎え、ほかの兵士たちが次々と戦地から帰国するなか、現地に留まるしかありませんでした。そしてやっと帰国しても、日本には特攻で名誉ある死を迎えたかたがたくさんいる中、ひっそり生きてこられたそうです。
作者の鴻上さんは、佐々木さん本人にインタビューをしております。その中でとても印象深い言葉がありました。それが、「寿命」です。インタビューをした2015年、92歳になられた佐々木さんは、札幌の病院に入院されています。帰還しても、上司からは、次は死ねと言われて出撃命令がでます。そんな中、何故死なないで耐えられたのかという質問に、
「いやあ、やっぱり寿命です。」
とお答えされています。そして戦争が終わって、何十年たった今でも上官のことを悪くいわないのです。お子さんたちにも、戦争の話は一切しなかったそうです。
戦争当時21歳の若さで、世の中は戦争万歳、日本万歳の時代に、「生きる」ということに向かいあった方だと思いました。この本には、佐々木さんのことだけでなく、特攻兵が出撃前夜どんな様子だったかも描かれています。私には想像もつかない世界でした。
私は19歳の時に、父と四国・岡山を旅行しました。その時に宇和島で特攻兵の遺書をみたこがありました。とても達筆で、ご両親にお別れを書いているものでした。当時もとてもショックを受けました。結婚して親になり、戦争中に息子達が兵士として戦地に行く時に、私は万歳ができたでしょうか。できないと思います。私の同じ考えのかたもたくさんいたでしょう。非国民と言われても、その思いを曲げない方がいたはずです。この佐々木さんは、帰国できない中、一般郵便で生きている人のみがわかる内容を手紙に書いて実家に送っていたそうです。家族は帰還を喜びませんでしたが、お母様だけはその手紙を大切にして佐々木さんが生きていると信じていたそうです。
戦争に関して、それほど関心がありませんでした。しかし、今年は戦争に関連した本を読む機会が多かったです。「ヨコハマメリー」(中村高寛著)では、戦前戦後のヨコハマの界隈の歴史が載っていました。そして、「男尊女子」(酒井順子著)では、作者の酒井さんは、お父様から軍国少年であったと聞き、驚くくだりがのっています。私は戦争をしらない世代です。私の父は昭和元年生まれ、母は昭和7年生まれです。今、私達の世代にできることは、鴻上さんのように、戦争体験者の方のお話を伝えいくことだと思います。そして、戦争は、それを体験した人だけでなく、残された家族、戦争の後の時代に生活した人たちにも影を落としていることを忘れてはいけないと思いました。
「こくご食堂」本日調理する食材は、[9回も]です。
12月2日(土)の読売新聞朝刊に、この記事がでていました。
▲読売新聞12月2日の記事
なんだ?というのがまず最初の感想でした。鴻上尚史さんといえば、NHKのクールジャパンなどの司会や演劇で活躍される方です。その方が戦争についてかいた本。それにびっくりしていました。しかし、もっとびっくりしたのは特攻兵が9回も生還しているという点です。さっそく書店に行って購入しました。
▲不死身の特攻兵
軍神はなぜ上官に反抗したか
鴻上尚史
軍神はなぜ上官に反抗したか
鴻上尚史
鴻上さんは、この内容で小説を書かれているようで、ストーリーは半分小説のような文面です。前半部分で、特攻兵で9回生還された佐々木友次さんという方の上司にあたる、岩本益臣さんとう方のご夫婦のことがかかれています。陸軍士官学校を卒業した28歳の岩本さんと、結婚したばかりの23歳の若い奥様との別れの夜の場面です。泣いてはいけないとお互い我慢しているのですが、夜になってどうしてもこらえきれず二人で泣いているのです。この時岩本さんは特攻をしらされています。私は電車に中でしたが、この内容を読んで泣いていましました。この岩本さんは、特攻兵としてぶつかって命を全うすることよりも、飛行機から爆弾を落として帰還することを、佐々木さんたち若い特攻兵に伝えます。それは、軍隊にそむくことです。しかし、この岩本さんは、出撃する前に上司に宴会に呼ばれ、その為の飛行中にアメリカ兵に撃ち落とされてしまいます。
そして佐々木さんは、何度も危険な目にあいますが、9回の出撃のうち1回は相手の戦艦に爆撃をして帰還しています。佐々木さんのお父様は日露戦争に出兵して、帰還している方です。小さいころより、お父様より「生きて帰ってくるんだ」とお話されていてそれがよりリアルに感じられていたのだと思います。しかし、死ぬのも地獄、生きるのも地獄。佐々木さんは、特攻兵として名誉の死を遂げたと、生まれ故郷では盛大な葬式がひらかれています。終戦を迎え、ほかの兵士たちが次々と戦地から帰国するなか、現地に留まるしかありませんでした。そしてやっと帰国しても、日本には特攻で名誉ある死を迎えたかたがたくさんいる中、ひっそり生きてこられたそうです。
作者の鴻上さんは、佐々木さん本人にインタビューをしております。その中でとても印象深い言葉がありました。それが、「寿命」です。インタビューをした2015年、92歳になられた佐々木さんは、札幌の病院に入院されています。帰還しても、上司からは、次は死ねと言われて出撃命令がでます。そんな中、何故死なないで耐えられたのかという質問に、
「いやあ、やっぱり寿命です。」
とお答えされています。そして戦争が終わって、何十年たった今でも上官のことを悪くいわないのです。お子さんたちにも、戦争の話は一切しなかったそうです。
戦争当時21歳の若さで、世の中は戦争万歳、日本万歳の時代に、「生きる」ということに向かいあった方だと思いました。この本には、佐々木さんのことだけでなく、特攻兵が出撃前夜どんな様子だったかも描かれています。私には想像もつかない世界でした。
私は19歳の時に、父と四国・岡山を旅行しました。その時に宇和島で特攻兵の遺書をみたこがありました。とても達筆で、ご両親にお別れを書いているものでした。当時もとてもショックを受けました。結婚して親になり、戦争中に息子達が兵士として戦地に行く時に、私は万歳ができたでしょうか。できないと思います。私の同じ考えのかたもたくさんいたでしょう。非国民と言われても、その思いを曲げない方がいたはずです。この佐々木さんは、帰国できない中、一般郵便で生きている人のみがわかる内容を手紙に書いて実家に送っていたそうです。家族は帰還を喜びませんでしたが、お母様だけはその手紙を大切にして佐々木さんが生きていると信じていたそうです。
戦争に関して、それほど関心がありませんでした。しかし、今年は戦争に関連した本を読む機会が多かったです。「ヨコハマメリー」(中村高寛著)では、戦前戦後のヨコハマの界隈の歴史が載っていました。そして、「男尊女子」(酒井順子著)では、作者の酒井さんは、お父様から軍国少年であったと聞き、驚くくだりがのっています。私は戦争をしらない世代です。私の父は昭和元年生まれ、母は昭和7年生まれです。今、私達の世代にできることは、鴻上さんのように、戦争体験者の方のお話を伝えいくことだと思います。そして、戦争は、それを体験した人だけでなく、残された家族、戦争の後の時代に生活した人たちにも影を落としていることを忘れてはいけないと思いました。