トイレのクモ子さん

 トイレの隅っこにクモが巣を張っていた。我が家のトイレには窓がなく、扉もいつも閉めているので、クモの餌になるような虫はあまりいないはずである。おかしなところに巣を作るものだと思っていた。
 いつトイレに入っても、やはりクモの巣には何もかかっていない。そこでたまたま私と一緒にトイレに入った蚊を捕まえて、巣の上に落としてみた。
 クモの反応は早かった。蚊が巣にかかるや否やとび出してきて、ぐるぐる、ぐるぐる、蚊を回して糸で巻いていく。巻き終わると、クモはぐるぐる巻きになった蚊をぶら下げて、巣の端っこに吊るしておいた。あとで食べるのだろうか。なにぶん小さな者たちの間のことであるからよく見えないが、クモは獲物に消化液を注入し、獲物の体を溶かして吸うのだと言う。次にトイレに行ったときには、食べかすだろうか、さっきぐるぐる巻きにされた蚊が巣の下に落ちていた。
 トイレに行くたび気になって見るのだが、私の与えた蚊の他に、何かを食べたような様子はない。食べかすが落ちていないのである。獲物がいないのだから当然だ。なのにクモは、平気そうな顔で巣のメンテナンスに余念がない。一般に巣を張った場所に餌となる虫が少ない場合、クモは巣をたたんで別の場所に張りなおすと聞くが…。
 それから二、三回、蚊を与えてみたが、やはりそれ以外に餌はないようである。ある日、クモは巣から下りて床の上を歩いていたが、その様子がいかにも弱々しく見えた。だんだんと涼しくなって、蚊の数も減ってきた。このままでは餓死してしまうかもしれない。意を決して、クモを外へ逃がすことにした。
 ところが、クモを庭に放した次の日、トイレの隅っこの同じ場所に、今度は別のクモが巣を作っている。人間が知らないだけで、実は人気スポットだったのかもしれない。前のクモには、悪いことをしたような気がする。
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