明日、高校卒業した子どもが遊びにくるのに備えて、掃除をしています。
人が来る!→掃除だ!!!!という生活は終わりにするぞ!の心持ちでがんばります!(掃除進行形)
私のように支援をする立場の者には、
観察をすること、想像することが大切なことだよなぁ、と
日頃、つくづく思います。
凸凹のあるお子さんたちは、みんな困っている、と
もしかしたら、みなさんは思っていらっしゃるかもしれません。
支援員として私が関わってきたお子さんたちは、
支援クラスに在籍しているお子さんも含めて、自分で自分が、
何に、どんな風に困っているのか、気がついていないお子さんが大半でした。
例えば、飛ばし読みが多い子どもは、
単にうっかり屋さんだと片付けられ、本人も自分は注意力がないと戒めていましたが、
一緒に放課後に勉強していると、読んでいる行と前後の行が入り乱れることがありました。
そんなうっかりってあるの?という疑問がはじまりでした。
そこで、厚紙で読んでいる行だけしか見えないものを作って、
読むときには、それを使って読ませると、読み飛ばしがなくなり、
本人も「何これ!せんせー、読みやすいよー」と言ってくれて、
私も嬉しかったのを覚えています。
でも、だんだん、それを使うのをめんどくさがるようになりました。
使わないと、やっぱり、間違えるのに、使うのを面倒くさがる。
そこで、身近な定規を当てて読むようにすると、
飛ばし読みや行違いの読み方が減るようになりました。
定規というのは、下が透けてみえます。
以前は、周りの文字を全部隠さないと読めなかったのに、
少しくらい、隣の文字が透け、前の行は見えてても、読む行に目をフォーカスできるようになったのですね。
でも、しばらくすると、定規も面倒くさがるようになりました。
前よりは、読み飛ばしや行飛ばしはなくなりましたが、時々、飛ばし読みをします。
今度は、指で読むところを指でさして移動させながら読むようにしました。
そういう読み方は、学校の中で見かけますよね。
それで十分、読めるようになりました。
この子どもの場合は、目を一定のところに保ったり、追ったりすることが苦手で、
先日の講演の南雲さんのように、字が歪んだり、踊ったりはしていなかったのだと思います。
それでも、そこまで読めるようになるのに、半年ちょっとだったかなぁ、と思います。
子どもが学習の中で、間違いを繰り返したり、面倒がったり、イライラするときには、
そこは困っていたり、次のステップへの合図だったり、支援のやり方がまずかったり、
色々なことが隠されています。
宿題を一緒にやる保護者や学習の支援をする人は、そのサインを見逃さず、
学習するときの手だてやちょっとしてステップを用意してほしいな、と思います。
そして、子どもたちは必ずしも自分が困っていることに気がついていない、という
視点も持って欲しいと思います。
できない=わからない=解説、以前のところで、
実は困っている場合がありますが、本人はそれに気がついていません。
それは、身近な保護者や支援者が、
ひとつひとつほぐし、確認し、その子の困っている最初の最初に辿り着かなくては、
見よう見まねの学習の体験をさせるだけで、
子どもの中に本当の学習が積み重なっていかないと思います。
支援者と保護者は、子どもの困っていることを観察し、
その困り感がどんな壁になって苦しいのかを想像し、
子どもが真に学習することができるようにする手だてを探っていかなくてはいけないなぁ、と思います。
私も試行錯誤、失敗の山ですが、観察する力は一朝一夕ではできるものではない覚悟で、
本を読み、実践し、学びに行きの繰り返しです。
支援者のみなさん、保護者のみなさん、共に、がんばりましょうね!
人が来る!→掃除だ!!!!という生活は終わりにするぞ!の心持ちでがんばります!(掃除進行形)
私のように支援をする立場の者には、
観察をすること、想像することが大切なことだよなぁ、と
日頃、つくづく思います。
凸凹のあるお子さんたちは、みんな困っている、と
もしかしたら、みなさんは思っていらっしゃるかもしれません。
支援員として私が関わってきたお子さんたちは、
支援クラスに在籍しているお子さんも含めて、自分で自分が、
何に、どんな風に困っているのか、気がついていないお子さんが大半でした。
例えば、飛ばし読みが多い子どもは、
単にうっかり屋さんだと片付けられ、本人も自分は注意力がないと戒めていましたが、
一緒に放課後に勉強していると、読んでいる行と前後の行が入り乱れることがありました。
そんなうっかりってあるの?という疑問がはじまりでした。
そこで、厚紙で読んでいる行だけしか見えないものを作って、
読むときには、それを使って読ませると、読み飛ばしがなくなり、
本人も「何これ!せんせー、読みやすいよー」と言ってくれて、
私も嬉しかったのを覚えています。
でも、だんだん、それを使うのをめんどくさがるようになりました。
使わないと、やっぱり、間違えるのに、使うのを面倒くさがる。
そこで、身近な定規を当てて読むようにすると、
飛ばし読みや行違いの読み方が減るようになりました。
定規というのは、下が透けてみえます。
以前は、周りの文字を全部隠さないと読めなかったのに、
少しくらい、隣の文字が透け、前の行は見えてても、読む行に目をフォーカスできるようになったのですね。
でも、しばらくすると、定規も面倒くさがるようになりました。
前よりは、読み飛ばしや行飛ばしはなくなりましたが、時々、飛ばし読みをします。
今度は、指で読むところを指でさして移動させながら読むようにしました。
そういう読み方は、学校の中で見かけますよね。
それで十分、読めるようになりました。
この子どもの場合は、目を一定のところに保ったり、追ったりすることが苦手で、
先日の講演の南雲さんのように、字が歪んだり、踊ったりはしていなかったのだと思います。
それでも、そこまで読めるようになるのに、半年ちょっとだったかなぁ、と思います。
子どもが学習の中で、間違いを繰り返したり、面倒がったり、イライラするときには、
そこは困っていたり、次のステップへの合図だったり、支援のやり方がまずかったり、
色々なことが隠されています。
宿題を一緒にやる保護者や学習の支援をする人は、そのサインを見逃さず、
学習するときの手だてやちょっとしてステップを用意してほしいな、と思います。
そして、子どもたちは必ずしも自分が困っていることに気がついていない、という
視点も持って欲しいと思います。
できない=わからない=解説、以前のところで、
実は困っている場合がありますが、本人はそれに気がついていません。
それは、身近な保護者や支援者が、
ひとつひとつほぐし、確認し、その子の困っている最初の最初に辿り着かなくては、
見よう見まねの学習の体験をさせるだけで、
子どもの中に本当の学習が積み重なっていかないと思います。
支援者と保護者は、子どもの困っていることを観察し、
その困り感がどんな壁になって苦しいのかを想像し、
子どもが真に学習することができるようにする手だてを探っていかなくてはいけないなぁ、と思います。
私も試行錯誤、失敗の山ですが、観察する力は一朝一夕ではできるものではない覚悟で、
本を読み、実践し、学びに行きの繰り返しです。
支援者のみなさん、保護者のみなさん、共に、がんばりましょうね!