帰って、ブログを書こうと思ったら、Wi-Fiが効かない…(; ̄O ̄)家に居ながら携帯で書くって、ふぅ~~。
支援員として子どもたちと関わり始めた最初の頃、「なんで、そんなことにこだわるの?」「なんで、そんな考え方になるの?」とわからないことだらけで、発達障害の本を読みまくりました。
それらの本はすっきり、くっきりまとめられ、支援員ペーペーの私にはわかりやすかった記憶があります。
しかし、目の前に居る子どもたちは、本に書かれた特性も見え隠れするものの、育った環境、地域、本人の性質などが複雑に入り組んでいて、本に書かれているように、すっきり、くっきりとはいきません。
ひとりひとりと、学習を通して付き合っていくうちに、その子の得意なことが見え、不得意なところもわかり、生活する力を知り…といろいろなことが見えてきました。そうなると、もう、発達障害云々ではなく、この子のできるところをどう伸ばし、不得意なところの底上げができるか?という点が私の仕事だと思うようになりました。
さらに、「発達障害があるから、これくらい、かな」という対応に腹がたつと同時に、「なんでもかんでも平等に!」という対応にも腹が立ちました。又、なんで、発達障害があると「子どもに学習力をつけよう!」とか「悪いことをしたら叱る」ことに対して、消極的になるのかもその理由が、とんと検討がつきませんでした。
そんな風なので、今、私の中には「発達障害だから」という括りはなくて、「表現が独特で、ちよっとわからんけど、この人何言いたいの?」とか「悔しそう!じゃあ、どうやったらできる?」ということを行ったり来たりで考えているだけのように思います。
障害云々よりも、目の前の子が何を考え感じているか?何ができて、どこで困ってるのか、に意識を向ける方が大事なことのように思います。
支援員として子どもたちと関わり始めた最初の頃、「なんで、そんなことにこだわるの?」「なんで、そんな考え方になるの?」とわからないことだらけで、発達障害の本を読みまくりました。
それらの本はすっきり、くっきりまとめられ、支援員ペーペーの私にはわかりやすかった記憶があります。
しかし、目の前に居る子どもたちは、本に書かれた特性も見え隠れするものの、育った環境、地域、本人の性質などが複雑に入り組んでいて、本に書かれているように、すっきり、くっきりとはいきません。
ひとりひとりと、学習を通して付き合っていくうちに、その子の得意なことが見え、不得意なところもわかり、生活する力を知り…といろいろなことが見えてきました。そうなると、もう、発達障害云々ではなく、この子のできるところをどう伸ばし、不得意なところの底上げができるか?という点が私の仕事だと思うようになりました。
さらに、「発達障害があるから、これくらい、かな」という対応に腹がたつと同時に、「なんでもかんでも平等に!」という対応にも腹が立ちました。又、なんで、発達障害があると「子どもに学習力をつけよう!」とか「悪いことをしたら叱る」ことに対して、消極的になるのかもその理由が、とんと検討がつきませんでした。
そんな風なので、今、私の中には「発達障害だから」という括りはなくて、「表現が独特で、ちよっとわからんけど、この人何言いたいの?」とか「悔しそう!じゃあ、どうやったらできる?」ということを行ったり来たりで考えているだけのように思います。
障害云々よりも、目の前の子が何を考え感じているか?何ができて、どこで困ってるのか、に意識を向ける方が大事なことのように思います。