先日,大学院博士後期課程在学中に研究指導頂いた先生のお祝いパーティーに出席しました。大学院時代に指導を受けた人々は今は大学教員や企業人となっていました。皆それなりに年を重ね,社会的に活躍している様子です。
このようなパーティーでは昔話に花が咲くものです。大学院時代,いかに先生に怒られたかという話しで盛り上がりました。恩師は普段は温厚なお方なのですが,ゼミでの研究指導は厳しいので有名でした。毎週,「こんな研究どぶに捨てちまえ!」「何も考えてないな。脳みそを取り出して塩でもんだらどうだ!」「昨晩は寝たのか?3時間も寝たとはどういうことだ。発表のときは寝ないで来るもんだ!寝ている暇があったら本を読んで勉強しろ!」というような調子で,研究発表が終わると終始怒鳴られるわけです。上級生が下級生を見かねて助け舟を出そうと,質問を投げかけると,「くだらん質問するな!」と一喝される始末です。今では笑って話せることですが,当時はゼミに出席するのが辛くて,毎週逃げ出そうかと思って,涙したものです。ゼミの仲間だった人たちは皆同じことをいいます。
今,教員になってみて思うのは,厳しく学生を指導することは実は大変なことだということです。厳しく接するためには,自分の指導が間違っていないという信念,厳しい接し方の後フォローの手間を惜しまない態度,反発を招いても気後れしない精神,学生に納得させるため率先して模範を示す力量が必要なのです。つまりは強い覚悟がないとできないのです。恩師とは違い,そのような覚悟が備わっていない自分には,なかなか厳しい指導はできないものです。多くの教員にとってそうでしょう。
厳しいことを指摘しようとすると,嫌われるのではないか,反発されるのではないか,やる気を失ってしまうのではないかというおそれを感じてしまいます。また,正しいと思って指摘する際,実は間違っているかもしれないという不安が脳裏を横切り,つい躊躇してしまうこともあります。
学生は,教員(私も含め)から厳しいことをいわれ,しょげたり,むかついたり,やる気を失くしたりすることがあるかもしれません。ゼミ生はじめ学生に理解して欲しいのは,われわれ教員も厳しく指導するためには覚悟を決めているということです。そしてそれなりに悩んでいるということです。学生には,厳しい指導をありがたいとまで感じる余裕はないでしょうが,そこまでいわれるのはよくよくのことなのだと納得し,自分を振り返るきっかけを得て欲しいと思います。
このようなパーティーでは昔話に花が咲くものです。大学院時代,いかに先生に怒られたかという話しで盛り上がりました。恩師は普段は温厚なお方なのですが,ゼミでの研究指導は厳しいので有名でした。毎週,「こんな研究どぶに捨てちまえ!」「何も考えてないな。脳みそを取り出して塩でもんだらどうだ!」「昨晩は寝たのか?3時間も寝たとはどういうことだ。発表のときは寝ないで来るもんだ!寝ている暇があったら本を読んで勉強しろ!」というような調子で,研究発表が終わると終始怒鳴られるわけです。上級生が下級生を見かねて助け舟を出そうと,質問を投げかけると,「くだらん質問するな!」と一喝される始末です。今では笑って話せることですが,当時はゼミに出席するのが辛くて,毎週逃げ出そうかと思って,涙したものです。ゼミの仲間だった人たちは皆同じことをいいます。
今,教員になってみて思うのは,厳しく学生を指導することは実は大変なことだということです。厳しく接するためには,自分の指導が間違っていないという信念,厳しい接し方の後フォローの手間を惜しまない態度,反発を招いても気後れしない精神,学生に納得させるため率先して模範を示す力量が必要なのです。つまりは強い覚悟がないとできないのです。恩師とは違い,そのような覚悟が備わっていない自分には,なかなか厳しい指導はできないものです。多くの教員にとってそうでしょう。
厳しいことを指摘しようとすると,嫌われるのではないか,反発されるのではないか,やる気を失ってしまうのではないかというおそれを感じてしまいます。また,正しいと思って指摘する際,実は間違っているかもしれないという不安が脳裏を横切り,つい躊躇してしまうこともあります。
学生は,教員(私も含め)から厳しいことをいわれ,しょげたり,むかついたり,やる気を失くしたりすることがあるかもしれません。ゼミ生はじめ学生に理解して欲しいのは,われわれ教員も厳しく指導するためには覚悟を決めているということです。そしてそれなりに悩んでいるということです。学生には,厳しい指導をありがたいとまで感じる余裕はないでしょうが,そこまでいわれるのはよくよくのことなのだと納得し,自分を振り返るきっかけを得て欲しいと思います。