先日,中学高校(6年一貫)の同級会が開かれ,参加しました。高校卒業から30年ぶりでした。卒業以来一度も会わず,30年ぶりに会った同級生が何人もいました。見た目がずいぶん変わってしまって,名前がすぐには思い出せなかった同級生がいた一方,印象がほとんど変わらない同級生もいて,なかなか愉快でした。
同級生たちはみな活躍しています。医師として地域に貢献している人,独りで起業した人,組織の上層部に駆け上がろうとしている人,家業を継いだ人,伝統舞踊家として異文化紹介に務めている人などなど。何より,多くは父母となって立派に家庭生活を営んでいます。同級生の近況を聞くことは,うらやましくも,うれしくもあります。また,当時の担任の先生も出席され,先生のご生活と学校の現状を聞かせていただきました。これは有意義なことです。
さて,そのような近況をあれこれ聞いた中,教育に携わる者として,感心したことがあります。自分の子供を母校に通わせている同級生が多くいることです。親子揃って同じ先生から教えを受けているケースもあります。母校の教育を高く評価しているから,同級生たちは子供を母校に通わせたのでしょう。卒業生の評価は,直接体験に基づく,実際の教育消費者による評価であるため,予備校や雑誌社のそれよりも,妥当な評価になるかもしれません。本当に良い教育であると思わなければ,子供を同じ学校に通わせることはしないでしょう。
仏教系の母校は厳しいことで有名でした。それは勉強面だけでなく,行儀作法面においてもです。勉強面では,夏休みや冬休みは通常の半分ほどしかありませんでした。私は成績が悪かったので,補習のため,さらに休みは短くなっていました。補習ではしつこいほど問題集を解かされました。行儀作法でいえば,中学高校6年間,男子生徒は坊主頭で過ごさなくてはなりませんでした。あいさつしない,名札を付けていない,数珠を腕にまいていないなどが教師に見つかると,職員室に呼び出されることがありました。私は授業中ふざけていて,職員室で正座させられたことが何度かあります。
在学中は,嫌で嫌で,辛い日々を過ごしました。学校生活についいて楽しいという気持ちを持つことはあまりありせんでした。しかし,卒業してから数年たち,社会人として生活するようになると,その教育の効果を感じるようになりました。厳しさによって,様々な能力が身についていたことが分かったからです。先生や学校に対する感謝の念が生まれました。
うちの学部はどうでしょう。卒業生は自分の子供を入学させようとしているでしょうか。私は学部全体の教育について語る資格はありませんので,ゼミの教育について注力し,卒業して数年後,受けてよかったと卒業生に評価してもらえるようにしなければならないと考えています。そして,いつの日か,ゼミの卒業生が,子供や親類縁者に,愛知学院大学商学部進学を選択肢の一つとして薦めるようになることを目指したいと思います。
そうなると,もっとビシビシやらないとだめですかね。秋学期,きちんと課題をこなしてこないゼミ生を,教室に立たせて,写経させましょうかね(お経の代わりに専門書)・・・。そんなことして,今以上にゼミ生が少なくなると,卒業後の評価なんて考えられなくなりますね・・・。
同級生たちはみな活躍しています。医師として地域に貢献している人,独りで起業した人,組織の上層部に駆け上がろうとしている人,家業を継いだ人,伝統舞踊家として異文化紹介に務めている人などなど。何より,多くは父母となって立派に家庭生活を営んでいます。同級生の近況を聞くことは,うらやましくも,うれしくもあります。また,当時の担任の先生も出席され,先生のご生活と学校の現状を聞かせていただきました。これは有意義なことです。
さて,そのような近況をあれこれ聞いた中,教育に携わる者として,感心したことがあります。自分の子供を母校に通わせている同級生が多くいることです。親子揃って同じ先生から教えを受けているケースもあります。母校の教育を高く評価しているから,同級生たちは子供を母校に通わせたのでしょう。卒業生の評価は,直接体験に基づく,実際の教育消費者による評価であるため,予備校や雑誌社のそれよりも,妥当な評価になるかもしれません。本当に良い教育であると思わなければ,子供を同じ学校に通わせることはしないでしょう。
仏教系の母校は厳しいことで有名でした。それは勉強面だけでなく,行儀作法面においてもです。勉強面では,夏休みや冬休みは通常の半分ほどしかありませんでした。私は成績が悪かったので,補習のため,さらに休みは短くなっていました。補習ではしつこいほど問題集を解かされました。行儀作法でいえば,中学高校6年間,男子生徒は坊主頭で過ごさなくてはなりませんでした。あいさつしない,名札を付けていない,数珠を腕にまいていないなどが教師に見つかると,職員室に呼び出されることがありました。私は授業中ふざけていて,職員室で正座させられたことが何度かあります。
在学中は,嫌で嫌で,辛い日々を過ごしました。学校生活についいて楽しいという気持ちを持つことはあまりありせんでした。しかし,卒業してから数年たち,社会人として生活するようになると,その教育の効果を感じるようになりました。厳しさによって,様々な能力が身についていたことが分かったからです。先生や学校に対する感謝の念が生まれました。
うちの学部はどうでしょう。卒業生は自分の子供を入学させようとしているでしょうか。私は学部全体の教育について語る資格はありませんので,ゼミの教育について注力し,卒業して数年後,受けてよかったと卒業生に評価してもらえるようにしなければならないと考えています。そして,いつの日か,ゼミの卒業生が,子供や親類縁者に,愛知学院大学商学部進学を選択肢の一つとして薦めるようになることを目指したいと思います。
そうなると,もっとビシビシやらないとだめですかね。秋学期,きちんと課題をこなしてこないゼミ生を,教室に立たせて,写経させましょうかね(お経の代わりに専門書)・・・。そんなことして,今以上にゼミ生が少なくなると,卒業後の評価なんて考えられなくなりますね・・・。
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