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1975年の吉田拓郎 その10

2019-05-03 17:44:14 | #1975年の吉田拓郎
 
 
 
ラジオ オールナイトニッポン 4
71
ゲスト
山田パンダ 浅田美代子
一部と二部合わせて4時間の放送
第二部は山田パンダの放送枠
 
キャッチフレーズが「哀愁の山田パンダ」
「栄光の吉田拓郎」だった。
 
8
フォーライフの三名がゲスト
小室等 井上陽水 泉谷しげる
 
井上陽水を中心にデモテープによる提供スポンサーのCMを流す。
 
15日
ゲスト 田辺昭一 かまやつひろし
スパイダース特集
 
22日
拓郎 風邪で休み
代行は局アナ
 
29日
つま恋を前に
大々的な告知。
拓郎特集
 
 
8 5
ゲスト泉谷しげる
つま恋からあけて1日
つま恋特集を二週にまたいでやる
 
12
ゲスト
泉谷しげる
 
つま恋特集
 
19日
ゲスト泉谷しげる
 
26日
ゲスト泉谷しげる
4週連続出演
つま恋燃え尽き症候群にかかっている
拓郎。
泉谷しげるとじゃんけんでかける曲を決める、
リスナーに電話大会。
 
9月 2日
ゲスト
杉田二郎
小室等(拓郎いわく押しかけてきた)
オールディーズ特集
 
9月21日 サンデースペシャル
セブンスターショーの告知
来週から泉谷しげると隔週でパーソナリティをするという。
 
 
9日
パーソナリティ
泉谷しげる。
 
16日
つま恋のフィルムコンサートの告知
 
23日
パーソナリティ
泉谷しげる
 
ゲスト松尾和子
 
 
30日 最終回
「俺たちは離婚することになりました。吉田拓郎
オールナイトニッポン最終回です。」
ではじまった。
第51回吉田拓郎オールナイトニッポン 月曜深夜
第1部。
 
一曲目 は
デモテープの
いつか街であったなら
 
離婚に至る経過を生の声で
届けると言った
当時前例のない離婚会見を拓郎自らが
行った。
これ以後一切離婚に関しては口を開かない
のでファンのみんなは心して聞いておいて
欲しいと告げた。
 
肉声での離婚へ至った経過を細かく
話してくれた。
時折言葉を選びながら
マスコミの話題に触れるとだんだんヒートアップして、
「あんたら地獄へ行くよ」
と宣戦布告とも取れるマスコミへの怒りのコメント
前例に金沢事件の時のマスコミの対応の酷さに
相当のフラストレーションが溜まっていたわけだから
今回の離婚会見放送に関しても
その後憶測で書かれることへの
釘刺し、ファンへの真実の見極め惑わされないように
注意喚起を促し、終始
怒りとやり切れなさと切なさを含んだ
放送となった。
途中
曲を挟みながら
曲の後
話題を変えながら
気持ちを落ち着かせで話題をひとつひとつ
解説するかのように話していた。
 
1 どの辺りから
夫婦としてダメになったきたのか?
 
2 浅田美代子との関係
 
3 娘の彩ちゃんのこと
 
4 金沢事件のことを振り返り
 
5 マスコミに対して
 
ざっとこんな項目で番組は進んで行った。
 
かけた曲目は
 
人生を語らず
伽草子
話してはいけない
まにあうかもしれない
親切
暮らし
また会おう
ひらひら
花酔曲
僕の唄はサヨナラだけ
 
そして最後の曲は
 
流れる
 
となりの街のお嬢さんのB面
 
A面候補でもあったが
地味なので却下され
となりの街のお嬢さんのB面に収まる。
 
しかし、当時の拓郎さんの
強いて言えば
1975年の吉田拓郎
の生き様を集約してるといっても過言ではない
この唄は
名曲として残っていると思う。
 
ただの一度もコンサートで演奏したことも
歌ったこともない歌にして
名曲。
 
「流れる」が終わるとピッタリ
午前3時の時報が流れ、
番組は終わった。
 
 
その後
特別番組として
12月2日
に拓郎と小室等のオールナイトニッポン
があり離婚後の落ち込んだ日々の近況を話していた。
 
 
こうして
1975年の吉田拓郎オールナイトニッポンは
 
フォーライフ設立あり、
つま恋あり
離婚会見放送あり
の怒涛と波乱の
放送番組となった。
拓郎降板あとの月曜深夜1時からの枠は
泉谷しげるが
年内引き継いだ。