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1975年の吉田拓郎 その11

2019-05-08 06:55:00 | #1975年の吉田拓郎
フォーライフレコード⓵
 
1975 それは
スッパ抜きの記事から始まった。
 
100億の旗揚げ 井上陽水 吉田拓郎レコード会社設立
という見出しが躍ったのは
2月26日付け
報知新聞。
 
そうそう出来っこないと見られたその夢物語が
意地でも作り、形にしていった
その大きなうねりの中
荒海に船出する小さな小舟のような
そんな若者による
若者だけの若者のための
新しい形のレコード会社設立という
ビックニュースだった。
 
 
4月1日に高輪プリンスホテルで記者会見
そして6月1日に正式に発足されたフォーライフレコード。
 
 
当時のキャッチコピーが
 
「私たちに音楽の流れを変えることができるでしょうか」
だった。
 
フォーライフレコードの出現により
以前
以後の
出来事として
大きく業界地図も塗り変わった。
 
本来力を持たなかった
1アーティストが
所属レコードでの発言権からプロデュース
販売に至るまで携われることに
音楽の流れが変わる
大きな出来事だったと思う。
 
これは送り手の側の革命であり
ぼくたち聴き手側
ファンの側からすると
まだその恩恵はそのあとずっと後から
受けることにはなるのだろうけど
何しろ痛快な出来事として、
表面的にみては
幕末の志士たちのような
革命戦士が四人
記者会見をしてる
その様は
挑戦的でカッコよく映ってた。
 
まるで優雅に水面をスイスイと泳ぐ
水鳥の様に見えても
実際水面下では必死に足をバタつかせ
ていたという
難題が山積されていたという。
 
簡単な船出ではなかっただけに…
大きなアドバルーンを上げたという事実だけが
後にくる
困難な出来事、ハードルをクリアしていく
泥まみれになりながら
レコード会社の体をなしていく
四人の若者の姿をその時
想像することはできなかった僕たちだった。
 
 
「へぇ〜すっげぇ〜なぁ〜」というのが
あの頃の感想。
思えば僕たちレベルにはそのすごさがなかなか伝わってこなかった。
しかし考えれば凄いことで
 
70年代フォークの一つの頂点にあたる
出来事だったのだ。
 
自分たちの手で歌を作り
自分たちの手でレコードを作り
自分たちの手で販売し、
自分たちの手で所属アーティストも
育てる。
 
一つの若者による自己完結ストーリーが
歌の世界でなし得たわけだから。
 
何をもって成功か、別として
フォーライフレコードの設立と
出現で
大きく時代は動いた
1975年だった。