明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

療養所 サナトリウム さだまさし

2019-05-23 19:53:02 | 僕の音楽日記
この歌を聞こうなんて
思わなかった。
 
多分怖かったんだと思う。
聞くのが怖かった。
 
悲しい歌
それも
現実を脚色せず
ありのまま 見せてくる風景に
目を背けたかったんだと思う。
 
弱虫な僕は
さだまさしさんの
弱いと思ってたキャラクター
を勘違いして、
ほんとは強い人で
弱々しく見える外見だけのイメージで
歌の世界も
聞かずして決めつけていた。
 
総じて
「聞かず嫌い」
だったわけで
 
好きか
嫌いか
だと
好きではない。
でも
嫌いではなくなった。
ってところ
 
入り込めないこともある
 
それは自分の弱さがそうさせるんだ。
 
この歌だって
そうだ。
療養所 (サナトリウム )仰々しい
歌のタイトルは
所縁のある人は聞こうと思うだろうが
 
イメージが先行して、辛く、悲しい歌なんだろうな
と思ってしまうのが関の山で、
拒絶していた。
 
僕が小さいとき
近所の遊び友達が
ある時
急に一緒に遊ばなくなり、
家にこもりっきりになり、
たまに玄関横の
倉庫で一人で人形で遊んでいたり、
それを見かけると
僕は
「また、一緒に遊ぼう!」と声をかけ
 
寂しい、感じのする友達を励ましたり
した。
 
そしてある時その子は急にいなくなった。
 
急性白血病で亡くなった。
 
療養所にも少しいたらしい。
 
だから
療養所と聞くと
辛いイメージしかない。
 
それを歌にされても
その子の記憶がいつまでも剥がれず
こびりつくことを拒んでいたのかも
しれない。
 
 
 
僕は弱虫だから
 
気も弱いから
 
死ぬ事が怖くて
考えたくなくて
逃避するほうなのだ。
 
生と向き合うことの
奥深さ。
 
こうして歌で作品として
聞いていくうちに
 
僕として
この先
誰に対しても
何が出来るのだろう
と考えてしまう。
 
できれば
そういったことを抜きにして
音楽を純粋に楽しめるようになりたいのだけれど
 
現実にある
光と陰
 
その両方に真実はあって
喜びもあり
悲しみもある
 
 
いまはありのままを受け入れて
受け止めて
 
素直な気持ちで心に刻もうと思う。
 
遠回りをしてきた
歌たちに対しても