あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

アルジャーノンに花束を

2020-04-05 13:05:33 | 日記
 5日に、観劇予定だった『アルジャーノンに花束を』が、コロナウィルス感染が懸念されるため、
中止となってしまいました。
 感染拡大が心配される状況なので、仕方がないのかもしれません。
 ダニエル・キイスの原作を読み、どんな舞台構成になるのだろうかと とても楽しみにしていたので、
残念に思います。
一日も早いウィルス感染の終息を祈るとともに、是非観劇の機会を得ることができたらと願っています。

 原作を読んでの感想メモ
 知的障がい者であったチャーリーは、手術によって飛躍的に知的な成長と発達を遂げることになります。
あらゆる知識を獲得することで、これまで見えなかったものが見え、理解できなかったことが理解できる
ようになります。そのことが果たしてチャーリーに幸せをもたらすものだったのかどうか、その問いが読者に
投げかけられているような気がしました。
チャーリーが得たものとは……
 ・知的障碍者としての自分が、人間として見下され、差別的に扱われて来たという事実
 ・研究の対象者(モルモット)として見なされ、過去の自分がまるで人間ではないかのように見られることの
  苦痛や怒り
 ・知的水準があがるにつれて感じる、学者や研究者といった知識人の知識の限界と狭小な人間性
 ・知的な成長と心の成長とのアンバランスの自覚
 ・女性との関わりや性的な関係を通して 感じ考え見えてきたもの
 ・別れた家族との再会を通して、過去の家族との関わりを振り返り、新たに理解し、感じたこと
 ・自分と同じ手術を受けたネズミのアルジャーノンの死を通して、自分の行く末を考えたこと
 ・知的な退行が進んでいることを自覚し、これからの自分の生き方や在り方を考えたこと
 結論から言えば、チャーリーはこれらのことを感じ、考え、知ることで、これまでとは違った形で生きていく
道を選ぶことができるようになったと言えるのかもしれません。すべてを受け入れることで、自分に合った自分
の生き方を見出したとも言えます。
 この作品は、知的障がい者の方に対する偏見や差別への警鐘としての作品でもあるように思います。
 同じ人間として障がいを持った方をどう理解し、どう関わっていったらよいのか、深く考えさせられる作品でも
ありました。命の重さに違いがないように、人間としての価値や尊さの前ではすべての人が平等なのだということを
改めて心に刻んでおきたいと思いました。
 また、私自身のことに置き換えて考えるなら、老いるという過程は、ある意味でチャーリーが知識や理解力・記憶を
失っていく過程と重なっているような印象があります。その中で、どう人間としての自分を位置づけ、これからを方向
付けていくのかということについても、問われているような気がしました。

追伸
 長い間の音信不通のため、消息を気遣う声も耳にしました。
 心配をかけないように、ブログへの投稿を継続できたらと考えています。
 これまでいろんな詩を読んできましたので、心に残る詩を取りあげながらその中で感じたことや考えたことを中心に
書いていけたらと思っています。
 新型コロナウィルスの感染拡大が心配される状況ですので、お互いに感染予防を心がけながら、この難局を乗り超えて
いきましょう!! 桜の花をながめるゆとりも大切にしながら…。




コメント
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