あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

演劇「煙が目にしみる」を観て

2018-07-29 17:17:48 | 日記
仙台演劇鑑賞会の7月例会「煙が目にしみる」(加藤健一事務所)を観てきました。

舞台は、火葬場の待合室。
北見家と野々村家の火葬が同じ時間帯に行われ、そこで亡くなった二人の当人と
二つの遺族と親族が登場し、故人をめぐる人間模様がコメディータッチで描かれ
ます。

重い「死」をテーマにしながらも、笑いの中で進行するストーリーとなっている
ため、深刻にならずに観客も自然体で二人の死を受け入れながら観ることができ
たのではないかと思いました。

初めに、死に装束の北見栄治(61才)と野々村浩介(46才)が登場します。
たまたま火葬場で顔を合わせた二人でしたので、お互いに自己紹介をし、死出の
旅立ちを共にする仲間として意気投合します。栄治が持っていた煙草を一緒に
吸う場面があるのですが、初対面でありながらも昔からの友人のような親しさを
象徴している印象がありました。

亡くなった二人の姿は、常人には見えないはずなのですが浩介の母である野々村
桂(加藤健一が演じる)には、二人の姿が見え、会話まで交わします。
この桂が橋渡し役となって、故人の願いや思いと 遺族としての故人への願いや
思いをつなぎます。

栄治の 先立たれた妻への一途な思い、愛人となった女性への思いを 娘は知る
ことができます。
浩介は、いつまでも一緒に生きたかったと悲痛の思いを告げる妻と息子と娘の
思いを知ります。

見送られる故人と見送る遺族との間に流れる 温かい心の通い合いが心を打つ
演劇でした。

エンディングは、お互いの家庭の事情を理解した両家の遺族が一つになって写真に
おさまるという場面でしたが、なんと桜の花が見える窓に 故人となった二人も
(遺影となった姿で)ちゃっかり登場するというしかけでした。会場の拍手は、遺族
の思いと一体となった 温かい拍手だったのかもしれません。

「煙が目にしみる」というタイトルは、故人と遺族との間にあったわだかまりが消え
去り、火葬場の煙となって天へ旅立つ別れを 故人も遺族も受け入れる 潔い悲しみ
を表しているような気がします。

死とどう向き合っていくのか、その心の持ち方を示唆する演劇でした。
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