あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

心優しき人に 幸いを

2013-05-21 20:45:15 | インポート

先日、仙台にボランティアで出かけてきました。悩みに耳を傾けながら、改めて心優しき人に幸多かれ ! と、願わずにはいられませんでした。

優しいがゆえに、すべてを自らが背負いこんでしまうんですね。それでも、他人を責めることはせず、自分を責めてしまう、その思いに かける言葉を失ってしまいます。

こうありたいと願いながら、それができない自分を責め、否定してしまう優しさ。その優しさをもっと自分自身に向け、自己を肯定的にとらえることができたら、どんなに楽になることでしょう。

他人と比較することで、自分のいたらなさを責めてしまう。こうありたいと願う物差しで、今の自分を厳しく評価してしまう。比べ 評価することで、自分を追い込んでしまう。

人間として 一番大切な 相手を気遣う優しさを 身につけているのですから、もっと自分を認め大切にするところから 歩いていっていいのだと思うのですが……。

一つの生き方や在り方にとらわれずに、肩の力をぬいて 自分なりの人生を歩んでいけたら と思います。誰でも、代理者のいない 自分の今を生きているのですから。

心優しき人に 幸多かれ!  と 切に 願います。


空は なぜ

2013-05-16 08:08:57 | インポート

空には なぜ 色があるのでしょうか

空が空であることを気づいてもらうために 

少しだけ 化粧をしているのでしょうか

   空には なぜ 広さがあるのでしょうか

   人間の手で 到底測ることのできない 世界があることを

   告げているのでしょうか

      空には なぜ 深さがあるのでしょうか

      知的な好奇心だけでは たどりつけない 

      言葉で表現することを超えたところにあるものを

      示すためにあるのでしょうか

         空には なぜ 輝きがあるのでしょうか

         道行く人々の 先を照らすために あるのでしょうか

         光のあるところに 道は拓かれていくのでしょうか

            空は なぜ 頭上にあるのでしょうか

            探す落し物が 下にあるわけではないことを 語るために 

            上に在り続けているのでしょうか

               答えのない 問いを繰り返すように

               空は 在り続けています

                  生きて在るからこそ

                  私は 空の問いの答えを 探し続けているのかもしれません


憲法論議について

2013-05-15 09:24:01 | インポート

自民党は、参議院選挙の争点の一つとして、憲法改正を取り上げる方向にあるようです。日本維新の会やみんなの党も、改正の方向で共同歩調を取るとのこと。改正の手続きとなる96条を焦点にした論議が高まりそうです。これを機会に、改めて憲法の意味やあり方を国民一人ひとりが考える契機になるのではないかと思います。問い直す上での観点として、次のような点があげられるのではないかと思います。

○ 憲法96条の改正を先行させるかどうか

 96条には、国会議員の2/3以上の賛成が必要という条件が明示されていますが、この制約を国会議員の過半数の賛成があれば発議できる という方向にしていこうとするのが自民党案です。何をどう改正するのかという本質的な問題は後回しにして、変えていくための手続きを先に改めようとしているわけです。もしそうなった場合、国会議員の過半数の勢力を持った政党なら、いつでも憲法改正ができるような流れになってしまいます。最終的には、国民投票の結果によるわけですが、法治国家の根幹となる憲法がこんなにも安易に変えられるような状況をつくっていいのかどうか、とても疑問に感じます。なぜ2/3という高いハードルが設けられているのか、そこに憲法の持つ重みと権力の乱用を防ぐための 民主国家としての制約が課せられているのではないかと考えるのですが……。

○ 現行憲法は、アメリカから押し付けられたものなのかどうか

 維新の会の石原代表などが力説しているのが、憲法は、敗戦国日本がアメリカから押し付けられたものであるという考え方です。先の戦争体験からの反省をもとに平和国家としての新しい日本をつくっていくという 現行憲法に込められた思いを汲み取ることはしません。憲法を押し付けられたものとして後ろ向きにとらえるか、新しい理想国家をつくるものとして前向きにとらえるか、その根底には歴史観や思想面での違いが色濃く反映されているように感じます。戦前の歴史を肯定的にとらえるか、反対に、戦前の歴史を否定的にとらえるかによって、憲法のとらえ方も変わってくるのではないかと思います。憲法改正に賛成する集会に参加した若者が、その理由として現行憲法は押し付けられたものだからと答えているのを耳にしました。仮に押し付けられたものだとして、あなたは:現行憲法のどこにどんな問題があると考えているのかと聞きたくなりました。憲法の成立過程にこだわる考え方は、改正の手続きにこだわる考え方と同根のような気がしました。憲法の本質に向き合うことで見えてくるものを、向き合わずに入口のところに留まっているから、見えるものが見えない状況にあるのではと感じるのですが……。

○ 戦前の歴史をどうとらえるか

 慰安婦問題について、維新の会の橋下代表が制度として認める発言をしました。人権には敏感でなければならない弁護士だった人の発言なのかと驚きました。国会では、安部首相が侵略戦争であったことを認めない発言をし、歴史認識に対して韓国や中国から不信の念を抱かれるような状況になっています。慰安婦の問題についても、かっての発言内容から橋下代表と同様な歴史認識を持っているように感じます。戦争時代に日本軍が犯した負の歴史を認めることが、自虐史観であるという見方に立っているからでしょうか。主権回復の日を強行した背景にも、戦後の占領時代を恥辱の時代ととらえる見方があるように思います。

 歴史から人は何を学ぶのでしょうか。二度と同じような悲劇を繰り返してはならないことを学ぶことで、新たな歴史がつくられ、お互いの人権を尊重しあう理想社会が実現されていくのだと思います。慰安婦は、欧米メディアでは「セックス・スレーブ」〈性の奴隷〉と英訳され、伝えられているとのこと。制度として認めるということは、国が売春を公に認め、女性の人権を否定し、人間としての尊厳を踏みにじる考え方だと思います。一つの政党の代表者が発言したことで、日本という国はこんなにも人権に配慮を欠く国なのかと評価されてしまうのではないでしょうか。そのことが、とても残念に思えます。

 負の歴史を負として認め、それを繰り返さないという歴史観に立たない限り、韓国や中国との信頼関係は生まれないように思います。

 国益という言葉を、国会論戦の中で安部首相はよく使います。その抽象化された言葉のうちに 国民一人一人の顔と思いと日々の暮らしが削ぎおとされてしまっているように感じます。国益は、自国の益であって他国にとっては国益にならないものなのでしょうか。国際化の時代の流れにあって、一つの国だけが富み栄えることが許されるのでしょうか。他国との信頼関係を大切にし、他国にとっても益となる 互恵の関係を築いていくような 広い視野と歴史観をもった政治家であってほしいものです。

 


花の向こうに 青い空が

2013-05-09 09:01:23 | インポート

咲きそろった洋ナシの白花の向こうに、深く澄んだ青い空が広がっていました。

背景としての空なのに どこまでも 青く広がる その世界に、引き寄せられてしまうようです。

旅にでも 出かけてみようか、幼いころから抱き続けてきた 憧れとなつかしさが入り混じったような思いがあふれてきます。

求めるものが、そこにあるような…… 。

招くように 広がる 澄んだ青い世界。

立原えりかさんの童話に、虹に魅せられた少年が登場する物語がありました。少年は虹を求めて旅に出ます。やがてそんな少年がいたことも人々の記憶から消えてしまうほど たくさんの月日が流れます。そんなある日、町の通りで 老人になった少年が 虹のかけらを売っている姿を見かける といった話だったように思います。

少年は、虹を探し求める旅をずうっと続けていたのでしょう。虹のかけらを売る老人の表情は、少年のような輝きをもっていたのではないでしょうか。

心ひかれるものを持ち続けるということ、美しいものを美しいと感じる感性を大切にするということ、目ではなく心で感じるということ。

今の季節、新緑の持つ みずみずしい生命力を内に取りこみながら、若々しいハートで周りの世界を 見つめ、感じることができたらいいですね。

青い空は、無言でそのことを語りかけているような気がします。

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長嶋さん、松井さん、おめでとう !

2013-05-06 10:48:43 | インポート

昨日、二人に国民栄誉賞が贈られました。なぜ二人で この時期なのか、政治的意図はなかったか等、いろんな疑問が投げかけられているようですが、二人のファンである私にとっては、心から祝福のエールを送りたいと思います。

私が野球を始めた頃は、長嶋選手と王選手が人気を2分する時代でした。草野球では、背番号3と1があこがれの番号でした。長嶋選手の勝負強さと華麗なフィールディング、王選手の豪快なホームランが魅力となって、私は熱烈な巨人ファンとなりました。以来、長嶋選手の活躍を楽しみにプロ野球をテレビ観戦するようになりました。

社会人となり、神奈川県川崎市に就職した時には、後楽園球場や川崎球場でナマの野球を観戦することができ、長嶋選手のプレーに一喜一憂したのを思い出します。長嶋選手が引退すると決まった時には落胆し、引退セレモニーをテレビで見た時には涙が出ました。それだけ、私の心の中では大きな存在であり、ヒーローでありました。一つの時代が終わったのだなという感慨もありました。

監督になってからも、長嶋ジャイアンツを応援し続けました。長嶋という選手がいない巨人軍は、悪戦苦闘が続きました。そんな中で、松井選手が入団してきました。長嶋選手の勝負強さと王選手の長打力を身に付けた新しいヒーローの登場に、新しい時代がやってきたという思いがしました。

以来、松井選手を応援するようになりました。アメリカに渡ってからも、大リーグ中継を欠かさず観戦し、ヤンキースが優勝し松井選手がMVPを獲得した時には、心から喜んだものです。ヤンキースを離れ、エンゼルスやアスレチックスに移籍してからも、ケガや体調不良のため思うような結果を出せない松井選手の復調を願い応援していました。本人にとっても、一番苦しい時期だったのではないかと思います。苦しみながらも冷静に自己の体力の限界を見据え、引退を決意したことに、もう一つの時代が終わったのだという感慨がありました。

私にとっては、二人とも心のヒーローでした。その二人がそろって表彰の機会を得たことに、心からお祝いしたいと思います。同時に、長嶋さんには〈 これからもお元気で! 〉と 松井さんには〈 お疲れ様でした! 〉と 一言を添えたいと思いました。

今、私は地元チームの楽天ファンです。田中投手が 私の心の次期ヒーロー候補として存在していますが、まだヒーローとは言い切れない存在です。楽天の選手の中から、新しい時代の到来を感じさせる選手が誕生することを心待ちにしています。