『 核兵器は、絶対悪である。』 広島の松井市長が、広島平和宣言で語った言葉です。
ジュネーブで4月に開かれた核不拡散条約再検討会議の準備委員会で、日本は核兵器の非人道性を訴える共同声明に、署名しませんでした。アメリカの核の傘に依存する安全保障政策への配慮のため、というのがその理由でした。しかし、これは、必要悪としての核兵器の存在を認める考え方であり、市長は、痛烈な批判を込めて 核兵器は決して「必要悪」として認められるものではなく、人類に不幸をもたらす『絶対悪』なのだと強調して訴えたかったのではないかと思いました。
『無差別に罪のない市民の命を奪い、人々の人生を一変させ、また終生にわたり心身を苛み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。』
多くの市民の命が一瞬にして奪われたという事実、命が助かっても 被曝の後遺症や生きていく中での差別・偏見に 苦しめられてきた被爆者の方々の 怒りや悲しみにふれてきたからこそ、核兵器のもたらすものが「絶対悪」なのだと感じられたのではないでしょうか。
『被爆者は平均年齢が78歳を超えた今も、平和への思いを訴え続け、世界の人々が、その思いを共有し、進むべき道を正しく選択するよう願っています。私たちは苦しみや悲しみを乗り越えてきた多くの被爆者の願いに応え、核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。』
核兵器が二度と使用されることがなく 世界が平和であることを心から願う 被爆者の思いを しっかりと心に刻んでおきたいと思います。
『世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず人類の未来を見据えて、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。…… 』
核保有国は、安全保障の切り札としてこれからも核兵器を持ち続けるのでしょうか。その保有量で保たれている平和は、何と危うくもろいものなのでしょうか。
日本の安全を守るために、アメリカが核兵器を使用したら、世界のどこかで広島や長崎のような悲劇が繰り返されることになります。「必要悪」として認めることは、そのことを受け入れるという立場に立つことでもあります。
核兵器が、人類に幸福をもたらすものではないことは世界の誰もが認めることではないでしょうか。それに頼ることでしか保つことのできない平和は、真の平和と言えるでしょうか。同じ地球に生きる人類として未来を見据え、時間をかけて 信頼と対話に基づく 平和をつくりあげていくことが大切だと 私も考えます。その道筋の上に、核兵器は使わず 廃絶するという プロセスがあるのだと思います。
唯一の被爆国としての日本だからこそ、その先頭に立って核兵器の廃絶を世界に訴える役目を持っているのではないでしょうか。平和憲法を持っている日本だからこそ、世界の平和が実現されていく道を先頭に立って歩んでいく努力が求められているように感じます。
韓国や中国との 領土問題や歴史問題をはさんでの対立の中で、日本はますます内向きになり、軍事力の増強や愛国心をあおるような保守的な傾向に向かう心配があります。広島や長崎から発信される 平和へのメッセージにしっかりと耳を傾け、近隣諸国をはじめ世界に目を向け、開かれた視点で 未来を見据えていきたいものです。
平和宣言の中に次のような一節もありました。
『…… 被爆当時14歳の男性は訴えます。「地球を愛し、人々を愛する気持ちを世界の人々が共有するならば戦争を避けることは決して夢ではない。」 』
東日本大震災の被害状況が世界に伝わった時に、世界中から温かい支援の手が差し伸べられました。寄せられた支援物資の整理を手伝いながら、世界の人々の被災者に寄せる愛をしみじみと実感したものです。戦争のない平和な世界は、決して夢ではなく そういった愛に支えられて実現されていくものだと 私も思います。
理想も志も 高い方が、長い道のりがかかっても 熱い原動力になるのかもしれません。