あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

日曜の午後はクアハウス

2006-01-22 16:55:15 | 温泉ねた
今日は日曜日、1人でのんびり回診を終え来週の手術のデータとシネをチェックして、術前後の指示を出した、UAPが2件放り込まれていて、いつの間にか6件に増えてた。CABGが2件、CABG+FP、CABG+ベントール、再々手術のAVR、AAAとなかなかである。AAAはイージーケースっぽいし、いっこ上の上司は今トルコにいてるので、やらしてもらえないかなーとひそかに狙っている。
午後のひと時は、近くのクアハウスで過ごした。ここはお気に入りのとこでよく行くのだが、そこのどくだみ風呂がお気に入りで、なんともいえない気持ちよさ、一日肌がすべすべになーるのだ。以前は部屋の風呂に入浴剤をたっぷり入れ入っていたが、去年の夏からガス止められ、まー夏だし病院のシャワーがあるからいいかと思い、料金滞納し続けはや半年、最近は月曜日はバイトの帰りに銭湯、水曜日は当直先で入浴剤、週末はクアハウスと相場が決まっている。
4年ぐらい前から、大好きな入浴剤があってメーカーは忘れたが尿素配合のフェルゼアというやつ、それのハーバルグリーンってやつがすごーい、ガスが止められていらい、こないだ久しぶりに使ったが、もう一日ハッピーな気分でした。
何がいいって、一日中はだがすべすべになるのはトーゼンとして、香りが良いのです、しかもお風呂上がった後も
ずーと香ってる、一日その香りが体を包んでいて昇天寸前。
ほんとお勧めの一品です。みなさんお試しあれ。

そして風呂といえば水風呂、銭湯いったら必ず交互に入ってます。なんか冷たい水風呂にはいると必ず学生時代のヨット部を思い出す。冬とか春の海はめちゃくちゃ冷たく、しかも風がつよーい時期なので、ヨットがすぐにコテンコテン、パタッパタッと転覆しちゃうわけですよ。そうすると冷たーい水の中に投げ出され、凍えながらヨットを起こさないといけない、とろとろやってるとドンドン体力なくなって、ますます起こせなくなっちゃう。水風呂につかると、そういう光景が鮮明によみがえってくる。今考えるとオソロシー、人殺しにならなくて良かった。
あと、もうひとつヨットを思い出すのは、川辺とかを走っているとき、特にここは海が近いので、風が強い、そういう中を走っていると耳の裏側のところでボッボッボッボーと風の音が聞こえてくる。ヨットに乗っていても強い風が近づいてくるとまず、耳の裏側でザワザワザワと風の音が聞こえてきてそれがだんだん大きくなってボッボッボッボーと変わってくるのだ。
だから風が強いときに走っているとなんだかヨットに乗っているような気分になってくる、これはランナーズハイ?、エンドルフィンで幻覚が見えてるのかもしんない。やばいかも。
ちなみに、銭湯で体重測定したら85キロになってた、サウナ入ったあとでしかも今日は朝昼くってなかったけど。これで、卒業した頃の体重にだいぶ近づいたはずだが、なぜか体はぶよぶよ、肉がダラーんとしている。
年のせいか、いやただの運動不足だろ。

また書きすぎたか、論文とかもこんな勢いで書けるといいんだが、なかなか進まないもんだ。こんなんじゃ、また第一バカ医局長にお叱りを受けるかもしれん。
まー自由に書かせてくれ。

ご臨終です

2006-01-22 14:00:30 | 悲しい話
今朝、また1人見取った、今月これで3人目である。なんか行く時はみんな続けていくもんだ。DVRの遠隔期、MRSA縦隔洞炎のSEPSIS、AVR後の塵肺で抜管できずMOFの三人である。
DVR遠隔期の人は、心不全コントロールつかず入退院を繰り返していたが、内科的治療も限界に来ており、いわゆるエンドステージであった。最後は延命処置はせずモルヒネで呼吸苦をとって安らかに眠った。以前癌を扱ってた頃には当たり前のようにモルヒネを使って苦痛の除去をするようにしていたが、循環器に来てからははじめてかも知れない。呼吸器繋がれたり、苦しむよりは、むしろこの方がきれいであると思う。家族の納得が得られているのであれば、死に際はできれば美しく演出したいものである。
縦隔洞炎の方はDMのHDで大変ハイリスク、術後は元気になっていったん退院したものの、胸から膿を噴いて再入院。
すぐに開けてデブリ、洗浄、持続吸引開始したが、すでにsepsisの状態、徐々に意識レベル低下し挿管され、血圧保てずHDもできずである。悔やまれる。
塵肺の方は、何度か抜管挑戦するも再挿管を繰り返し、そのうちMOFが進んでしまった。なんで抜管できなかったのか、この反省を次に生かさなければならない。

とにかく、患者を看取るというのはいいものではない、寿命なら仕方が無いところはあるが、術後の急性期では外科として負け勝負である、仕方ないで済まさず、なぜだめだったか、これに対してフィードバックをかけて、今後少しでも減らさなくてはならない。