2009年7月20日(月曜日)
連休なので電車が混んでいるとおもいきや
ガラガラ状態・・・
新幹線の指定席は7号車の1ーA
3列席の窓側だったけど、
東京までわたしの横の席は埋まることはなかった。
山手線で池袋まででて、ホテルに
荷物を預け、東京メトロ・丸の内線で
本郷3丁目へ向かうことにした。
今日の会場となる東大文学部法文2号館は
東大正門からすこしおくへはいったところ。
東大正門がちょうど地下鉄の駅と駅の中間地点なので
けっこう歩かなくちゃならない。
筋肉や関節通に悩まされているうえ、
むくんだ足をもつわたしには、
かなりこたえる・・・
といいつつも、正門から入ったからには
安田講堂にもごあいさつしなきゃとばかりに
痛い足を引きずりつつ安田講堂詣で。
ひっそりとたたずむ安田講堂が
なぜかさびしげに映るのは、
40ン年という時の流れがわたし自身をも
大きく変えたからかもしれない。
あの時代を中途半端なまま、
すごしてしまったことへの小さな後悔と
語りつくせなかった政治へのいらだちが
いまのわたしへとつながっている。
そして今日、この東大で
女から女たちへ政治をつなぐ新しい試みが
はじまろうとしている。
女よ・・・と呼びかけるのは男の特権だった時代から
いまや女が女たちよ! と連帯しようぜ!
という時代を迎えている。
70年代のウーマン・リブを知らない世代
(その10年後に生まれた女性たち)が
WANの集会の熱気を
まるでウーマン・リブみたいとつぶやく。
彼女たちは「ヤン・フェミ」の世代であり
わたしたちは「おば・フェミ」なんだそうな。
おばさんもあと5年もすれば、立派な高齢者の仲間入り。
おばさんの真ん中に「あ」の字をつけて
呼ばれるようになる。
うわばみみたいに恐ろしくて(?)姥桜と言われる
わたしたちなら「うば・フェミ」もいいかもしれない
なんて、ね・・・
「私はフェミニストの看板を絶対に降ろさない。
先人の女たちが残してくれた言葉だから、
絶対にフェミニストの看板は降ろさない。」
と宣言した上野さんの熱いメッセージで
締めくくられた講演会の熱気をそのまま引き継いでの
トーク&トーク。
WEBは個と個がつながり
ネットワークをひろげていくという
パネラー・みどりさんの言葉は
む・しネットの運動そのもの。
む・しネットが女から女へと
伝え合ってきたノウハウが
いままさに、大きなうねりを起こそうとしているのだ。
煙のないところに火をつけ、運動を起こしてきた
みどりさんならではの、説得力のある
言葉に、胸がすく思い。
会場からのコメントということで
指名されたわたしには、
みどりさんが言い尽くしたというほかに
言い表すことばさえ、浮かんでこないのだ。
やりたいと思ったわたしが動く。
わたしのニーズは、わたしが満たす。
民主主義の第一歩はここからはじまるのだ。
パソコン音痴、IT音痴のアナログ人間のわたしにも
きっとできる何かがある。
安田講堂を背に東大をあとにした女たちの
熱い夏の闘いは7月20日
くしくも衆院解散前夜の今日、スタートをきった。