熱帯夜が続くせいなのか、変な夢を見ました。私の父親の出身地である福島県西会津町の生家まで、お盆の時期に一家で旅行をした少年時の夢であります。
福島県西会津町といっても、かなりの田舎でありまして、磐越西線の「徳沢」という無人駅(昭和40年代の頃はすでに無人駅でした)から、車で30分くらいかかる遠い山の中の家でした。自分は、幼稚園の頃に1回、中学1年の時にもう1回、都合2回ほど父の生家に行きましたので、その両方の思い出がごちゃ混ぜになったような夢でありました。
あのころの我が家は、文化服装学院で教鞭を執っていた祖母と、自分の両親、そして兄と私の5名でした。それに、東京の大学に勉強に来ていた西会津町出身の従兄も加わって6名の電車旅だったと思います。
まだ東北新幹線などはありませんから、まず上野発の東北本線急行列車に乗り込み、3~4時間くらいかけて郡山駅へ。ここで磐越西線に乗り換えるのですが、これが何と蒸気機関車。恐らく、これは幼稚園の時の記憶だと思いますが、とにかく、トンネルに入る前には、皆が急いで窓を閉める。閉めないと車内が皆、黒煙で覆われてしまい、顔が真っ黒になります。しかし、トンネルを出ると、今度は一斉に窓を開けないと、真夏の蒸気機関車ですから、すぐに社内が暑くなってしまいます。これを繰り返すのが、何だか奇妙で可笑しくて、笑いながら、顔が徐々に黒くなっていくのが楽しかった思い出でありました。
そして、喜多方駅あたりで、牽引する機関車が交替となり、車両の連結作業を行うために暫く列車が待機することになりました。連結作業を待つ停車時間があまりに長いため、その時間を利用して、父親が皆の弁当と飲み物を買いに汽車を降りて、駅の売り子が居る売店まで走ります。しかし、その時に、ちょうど列車が動き出してしまいました。停車していたホームから離れて、1番遠くのホームへ列車が移動してしまったのです。恐らく、連結作業をするためには、そのホームへ移動しないと作業ができない状況だったと思われます。
そんな緊急事態が起きてしまった際、自分はまだ幼稚園児くらいで、兄も小学校5年くらいでしたから、「お父さんが置いてきぼりになる! 大変‼ お父さんが乗れなくなる!」と大騒ぎ。祖母も従兄も、それを聞いて大慌て。
でも、母だけは「大丈夫、大丈夫」と落ち着いたもの。どうも、列車が移動することも、移動する先のホームも、すべて先刻承知の上、移動した先のホームで再び乗り込むから・・と、父は母にだけは告げていたらしい。
予定どおり、父が弁当と飲み物を6人分買い込んで、車両に乗り込んできた時は、まるで手品の瞬間移動を見るようで、思わず拍手喝采をしたのを覚えております。「良かった、良かった。お父さんが戻ってきたぁ!」と、兄と二人で大喜びしたところで、眼が覚めました。
何で今さら、こんな昔の夢を見たのでしょうか。
そう言えば、今年の2月に兄が亡くなって、この時の家族5人のうち、祖母も父も母も兄も、自分以外は全員お墓に入ってしまいました。
「そうか。もうすぐお盆なんだな・・」
今年は少し早めに、お墓参りに行くことにいたします。