ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

アリナミンは効く!?

2012-07-03 18:12:31 | 日々の暮らし・思い出
子供が風邪がなかなか治らないという。

この頃あまり風邪はひかないけど、30代の頃こんなことがあった。

いきなり身体が熱くなった感じで、ゾクゾクするような感覚に襲われて、

こりゃ風邪のひき始めかなと思って、

葛根湯もないし、アリナミンがあったので、それを飲んですぐに寝た。

一時間くらいぐっすり寝て、目覚めた時に、

身体は既になんともなかった。普段通り快調。

その時、アリナミンは偉い!と思った。

アリナミンは風邪に効く!と思った。


その後の日々でそれっぽい時にアリナミンを飲んで寝たけど、

身体の不調は不調のままだった・・・・

あの時だけだったのか・・・


考えてみれば、前に書いたけど、

食べたことがない饅頭と、今食べてる饅頭とどっちが美味しいか

と聞かれても比べようがないように、

その時にアリナミンを飲んで寝た、ということをしたら、

その同じ時にアリナミンを飲まないで寝る、ということは出来ない。

絶対に比べて調べることは不可能だから、

何がどう作用して風邪が治ったのかはわからない・・・

違う時と比較は出来ない。違う時は違う私だし。




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何に共感!?②

2012-07-03 14:53:45 | 日々の暮らし・思い出
ひとは誰でも頭ごなしに(~しなさい)と言われるのは快くない。

~をやらせよう・・というモードを感じると反発するのが人間。誰でもそう。

自主性、主体性が元々在るから。それに、

自分で落としたんだから自分で拾いなさい、という理屈は子供には通らない。

それまで、自分で汚したオムツも、遊んで汚れた洋服も、食べて汚れた食器も、

みんなみんな自分じゃない誰かがきれいにした。

自分が寝る布団を誰かが用意した。

具合が悪くなったら、誰かが病院に連れて行った。

周りの人は当たり前にそうした。自分は何もして来なかった。

自分のことは周りのひとがやった。

そういう経験しかして来なかった子供に、

自分のことは自分でしなさいと言っても小さな子供はわけがわからない。

それにお母さんに拾わせようとわざと落としたわけじゃなかったろう。

子供にしてみれば理不尽だ。冷たく突き放したように言われるのは辛い。

大きくなったら、「自分のことは自分でやれ」なんて言われなくたって、

ひとは自分の尻は自分で拭く。

自分で箸を持ち自分で食べる。自分の洋服のボタンは自分で止める。

子供はそれをするのが嬉しい。それが出来るのが嬉しい。

命令されてやるようなことじゃない。


共感することですよ、って口を酸っぱくして言われても、

はい、共感します で共感できるもんじゃない。

本来人間とはどういうものなのか、

それがわかっているか、いないか、そこなんじゃないかな。

人って、本来、自らの意志で行為したいもの。

人の自然って、思うがまま生きること。


自分のことは自分でやりなさい、と言われて、

反発を感じたり、不本意だったりでも、

それをやるとしたら、どういう気持ちでそれをするのかといえば、

渋々と(しなくちゃならないから、する)・・という気持ちだ。

(やらなくっちゃ)で、やる、だ。生き生きしてない。

それが全てのストレスの基なのかなぁと思う。

(やりたい気持ち)でやるのは 自然。

(やらなくちゃ気持ち)でやるのは 不自然。


だからこそ、イヤな気持ちになった話に共感出来る。

不自然なことだからイヤな気持ちになる・・・うん、なるほど。わかる。

やらせようとうする気持ちになるのもわかる。

みんなそうされて来たので、そうなるんだから。

やらせようとしてイヤな気分になるのもわかる。

ひとは本来、ひとに干渉するのは間違っていると心の奥深くで知っているからだ。

やらせようというのを感じるとイヤな気分になるのもわかる。

ひとはみな、自分の意志で動きたいから。


念のため、つい説明したくなっちゃうけど、

仕事なんかで「やらなくちゃ」となるのは、

(やらなくてはならない、そのこと)をやりたい気持ちでやる・・そういうことも大いにあるだろうしで、

それはストレスにはならないかなと思う。
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何に共感?

2012-07-03 14:45:21 | 日々の暮らし・思い出
イブの母親から電話あって、最近のイブ2才10ヶ月の様子を聞いた。

とにかく、自分の思うように行かないとどこまでも意地を張って通そうとする・・・

・・そういう主旨の話だった。

へー、そうなのか、ふんふんと聴いた。

意志をはっきり表わす強い子だなぁって思った。

他の子を知らないから、子供はみんなそうなのかもしれないけど。

具体例を話してくれた・・・

母親が夕飯の支度中、イブは食卓の椅子に座っていた。

そこで箸を落としたイブは「おかあさん、とって」と言った。

母親は支度中ということもあり、

「自分で落としたんだから、自分で拾いなさい」と言った。

イブは、「やだ~ぁ、おかあさんとってぇ!」

イブ母は、「自分で取りなさい!」

それの応酬で疲れたとイブ母は言っていた。

ホントに言い出したら聞かないんだから・・とイブ母。


以前イブ母は尾木ママの講演会に行ったと言っていた。

その話の主旨は 子育てはまず子供の言動に共感すること だと。

私も尾木ママという人をテレビで二、三度見たことがある。

この人いいなぁとその時思った。

(わたし、わりとおねえ系の人好き。なんとなく自信なさげな感じを受けるのかも・・)


このイブ母の具体例で行くと子供のどこに共感するのか・・・

「そうだよね~、拾いたくないよね~」と引きつった顔で共感するのか!?

そんなのは共感とは言えないね、きっと。


自分で落としたんだから、自分で拾いなさいとイブに言った時、

そういうことも教えなくっちゃ・・みたいなこともイブ母は思ったみたい。

よくある、そういうことって。経験ある。

イブ母は子をしつけようと、子供に箸を“拾わせよう”とした・・・

そうしたことで起こった展開は・・・

なんとしても、拾ったりするもんか・・どちらもそういう感じ。

これもやったこともあるし、見たこともあるからよくわかる。

こういう状況はエネルギーが強い方が勝つ。

そう、どっちも同じことを思ってるので勝負になってるから。

負けた方は屈辱を感じる。弱い自分に。

勝負はその後の関係に影響を及ぼす。

どんな経験もその後に影響を与えるもんだけど。


「そうだよね~、拾いたくないよね~」と心底共感できるには・・

その時の子供の気持ちに、「なるほど」となっていることかと思う。


続く・・・




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「鉢が多すぎる」③

2012-07-03 09:15:35 | 日々の暮らし・思い出
このタイトル二つ書くことで考え、書いてみて、昨日、一昨日。

多肉植物の寄せ植えの鉢を三つ作った。

書いたことで、そういうことに“なった”ように思う。

「鉢が多すぎる」という言葉が自分に入ってきた、感じ。・・そうなったからだろう・・

うちの庭をあらためて見てみよう、が浮かんだ・・見てみると・・

小さな鉢が多い。そういうのはみな、店頭に並ぶようなものじゃなくて、

発芽したばっかりのものや、まだ一センチ位の発育途中のもの。

それとか、一つ鉢の中で中年と青年と子供と赤ちゃんが

ごちゃごちゃになっているみたいな統一感がないものも多いことに気づいた。

そういう鉢とお見せできるような鉢とを分けてみようと思った。

そうしたくなって、見てみた時に、寄せ植えをしよう!

が出て来た。割と最近にネットで他肉植物を調べたことがあって、

その時に寄せ植えのやり方をなんとなく見ていたんだけど、

その映像が浮かんだ。

今まで寄せ植えをやったことはあったけど、

そのネットに出てたような感じの寄せ植えじゃなかったので、

映像を基に一つ寄せ植えの鉢を作った。

一つ作ったら凄く素敵な鉢になって、もっと作りたくなってもう一つ作った。

それが一昨日。そして昨日また一つ作った。

そして、これから、こういうのを又作りたいと思って、

寄せ植えメンバーを増やそうといろんな種類の多肉から葉っぱを取って、

苗を入れるポットに並べた。

これが寄せ植えメンバーになるのに一年以上はかかるだろうけど楽しみ。


「鉢が多すぎる」という言葉を受け入れたら、

こんな行為が生まれた。いいとか悪いじゃなくて、

うちの庭に新しい風が吹いたみたい。
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