ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

忘れられる権利 ③

2012-07-07 23:25:49 | テレビを見て
忘れられる権利なんてネーミングをよくぞ思いついたと思うけど、

そういうのも権利というものなのか、と思ったよ。

なんでも権利にするんだなぁ。

闘うためには権利を持って来ないといけない・・・んだなぁ・・

闘いと権利はセットなのか・・・

「権利」を広辞苑でみると、

①一定の利益を主張し、これを享受する手段として、法律が一定の者に賦与する力。

②ある事をする、またはしないことが出来る能力・自由。・・とある。

裁判にするのはこの①を得ようということなんだろう。

ひとが一定の利益、幸福を享受するための手段として法律がある。

現にこのことで困っている人が困らないようになるために、

法律が助けとなる。この現状の社会では必要。有効。


エントロピー増大の法則があるけれど、

情報という固定したものに意識が縛られる状態って、細胞のエントロピー増大みたい。

それによって起こった困った現象を処理するために法律を作って対処する。

そのやり方は、エントロピー増大が遅れるようにと、

建物が壊れないように頑丈に作るというようなこと。

短いスパンならその建物も壊れないけど、永久には無理。その場しのぎ。

福岡先生の云ってるように、生命は頑丈な建物を作るという方法ではなく、

わざと仕組みを柔らかくゆるく作って、

エントロピー増大でその仕組みが壊れるのを先回りして、

自らをあえて壊し、壊しながら作り出すという方法をとる。

こんなふうな、生命が自ら分解と合成を常に行なって、

一定の秩序を保っているという仕組みのように、


人間界でも法律という外部の一時的助けを必要としない、

生命である意識というもののある種の状態があるんじゃないかと思う。

自ら壊し、新たに作り出す、という意識の在りよう・・というものが。

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忘れる

2012-07-07 18:50:40 | 言葉
認知症の人はたくさんのことを忘れる、というけど、

こちらから見たら「忘れたんだな」と捉えるけど、

認知症の病状が進むとその人の中には“忘れた”という意識はなくなるように見える。

認知症じゃない人は、

自分が(忘れた)という意識現象になっていることがわかるから、

「あ、忘れてた」という思いが浮かぶ。

認知症の進んだ人は「あ、忘れてた」というのがない。

饅頭一箱を一度に食べても、「食べてない」と言うのは

食べた記憶がないということだから、

記憶が元々ないのなら、忘れた、ということもない、のは当たり前。

綾小路きみまろのトークに「散歩しているのに、徘徊してると間違われ」というのがある。

歩いている人の意識では、散歩であっても、家に帰る途中であっても、

それを見る人が徘徊してると見ると、見る人にとってはそれは徘徊になる。

忘れる、というのも同じかな。

おばあちゃんは忘れてばっかりでイヤになるという気持ちもわかるけど、

忘れてばっかりっ!と非難しても、

非難されたおばあちゃんは困ってしまう。
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忘れられる権利 ④

2012-07-07 16:34:14 | テレビを見て
忘れられる権利の、「忘れられる」という言葉遣いは、

過去の自分の姿という情報を忘れられたい自分、という意味だと思うけど、

忘れる主体は相手、その相手はパソコンの画面を見る無数の人々だ。

権利の反対は義務ということになると思うけど、

それがあるならばの話しだけど、(忘れる義務)は誰が負うのか・・・

パソコン画面に出てくる情報がどこかの時点で消えれば、

自然とひとは忘れる。

忘れるのは自然で、義務じゃないんだけど。

権利義務観念に付き合うと、頭がおかしくなる・・ことってあるんじゃないかな。
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忘れられる権利 ②

2012-07-07 14:41:09 | テレビを見て
裁判は訴えた人の勝利だったらしい。それはそれでよかったと思った。

彼女が働くことが出来るようになる・・・のだろうから。

これからネット上のそれらの情報を消すということをするのだろう。

まぁ、それでも、いろいろな問題があると言ってた。


以前は(忘れられる権利)なんて裁判になるような、こういう現象は起こらなかった。

言葉を広く発信出来ることになったのがいいことと悪いことの両方を生み出している。

どんなことも両面あるものだから当然なんだろう。


情報は動かないものとして存在する。

存在してしまっているのだからしょうがない。

けど、それによって弊害が起こるなら、現象面的に解決するということが必要になる。

あとひとつ、

人間は動き続けているものであり、

情報はあくまでその時点でのものだという認識が、あると無いでは、

それを見た時の受け取り方は違うだろうとは思う。

それだけではないだろうけど・・

人は変わらないもの、っていう人間に対しての見方が根強いのかなぁ。

10年前と殆ど変わらない意識でいるように見える人ばかりを見続けたり、

自分も何十年前とそれほど意識が変わってない人は、

ひとのことも自分と同じように観るのは当然だし。
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