ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

夫の笑顔

2012-07-18 19:19:43 | 日々の暮らし・思い出
この前出掛け先で、夫が一人行動をした。

その後また一緒になった時に、すごくいい笑顔をしていた。

ずっとその顔を見て居たいような笑顔だった。

聞くと、一人で古い飲み屋みたいな所に入り、

そこで初めて会った人たちと楽しい時を過ごしたみたいだ。

人ってこうして人との交流が何より楽しいと感じるものなんだなぁと思う。

旅先で凄くきれいな景色や国宝を見たりするのも楽しく面白いものだけど、

なんといっても人との関わりが一番心に残るんじゃないかと思う。

まぁ、それも人によって違うし、

自分の関心が向くものに出会えた時が嬉しいというのもあるけれど、

自分の今までの旅経験でも、初めて会う人たちと言葉がわからなくても、

心が通い合ったような心体験は忘れることがない。

人っていいなぁと思う。

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富士山の色

2012-07-18 16:18:57 | 日々の暮らし・思い出
この前、出掛け先で富士山を見た。この季節にしてはくっきりと見えた。

雪がまだ少し縦の白長い線になって残っていた。そこ以外は薄青い色に見えた。

一緒に居た人が富士山を見て「富士山の色はこういう色じゃない」と言った!?

この人は本当に面白い。そして正直だなぁと思う。

思ったままを口に出しているように見える。

彼女の目に富士山がどんな色に見えるのか、私にはわからない。

けど、富士山を見て、富士山はこういう色じゃない、と言うことに

びっくりしてしまう。つい笑ってしまう。

ひとは本当にいろんなことを思うものだと思う。



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二つ、三つ ④

2012-07-18 15:39:02 | ひとの幸福
人数の多い都会に住んでいると、

地域の行事に参加するべきという気風が自分のところに漂って来ない。

参加してもしなくても目立たない。

人口密度の低い田舎はどこに誰が住んでいるのかすぐにわかるし、

誰が参加したか、しなかったか、すぐにわかる。

田舎がイヤで都会に出て行く人の多くはこういう理由によるものかもしれない。

目には見えない干渉が多いように見える。

都会と田舎と両方に住んだことがあると、その違いは本当によくわかる。

参加する、しない、を自分の意志で選べるようになるには、

方法として人数の多い都会に住むという物理的方法がある。

都会に住んでそういう悩みがなくなったというのは、

そのひとにとって大変結構なことだ。

が、別のことで、同じような類の悩みを経験することもあるので、

なかなかだ。

もう一つの方法として心理的方法がある。
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二つ、三つ ③

2012-07-18 14:17:01 | ひとの幸福
Aをしないことしか出来ない意識の状態ってどんなことがあるだろう・・

まぁ、することしか出来ないという例題と似たようなもんだね。

タバコが好きで、吸いたいと思っても、

そこの場では吸わないでいることしか出来ないと思っていても、

自分がその場で吸わないで居ると決めていれば、

それをしないことしか出来ないという意識状態じゃない。

決める、ということは選択肢からそれを選んでいる、ということだからね。


しないことしか出来ない・・・なんかいい例題ないかな~

そうだ、さっき書いた小林さんはその催しをやっている間、

催しに参加しないで、それ以外の場に居るということをしないことしか出来ない意識の状態、だ。

その事自体はやろうとすれば出来る事だけれど、

出来ないと思い込んでいるのは不自由と言えば不自由だ。

もちろん、不自由状態がいけない、ということはない。

けど、自由な存在で居たいなら、

まずは自分が今現在不自由で不愉快だという自覚を持てるのが始まりかなと思う。

ひとは快適なのが当たり前・・というふうに思っているか、

そんなこと有り得ない、快適じゃないのも当たり前・・というふうに思っているか、

こういうのって凄く、人生に関係してる。

快適じゃない瞬間は起こってそりゃ当たり前。

でも、快適“なの”が当たり前、って私、思ってる。

んで、快適じゃない瞬間は大事だから、見逃さないことが大事。

自由に“なる”チャンスだから。
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二つ、三つ ②

2012-07-18 11:44:31 | ひとの幸福
Aという現象をするか、しないかの前段階としての意識状態は、

Aをすることしか出来ない意識状態、

Aをしないことしか出来ない意識状態、

Aをすることもしないことも出来る意識状態、

・・という三つの状態が在り得るかと思う。

何かをする、しない、時に私たちはこの三つの状態のどれか一つの状態かと思う。

三つある、ということを知らないと、選択している自覚はないことになる。

具体例で考えてみよう。

(具体例で考えるの大好き。そうすると凄く考えやすいんだ、わたし)

何かの催しで人が集まる機会があり、その中に山田さんも入っていた・・とする。

小林さんは山田さんに会いたくない、という気持ちがあった。

けれど、その催しに参加することは良い事だし、参加しなきゃというのがあった。

その催しに参加するべきだという考えがあった。

でも山田さんに会いたくない・・・気持ちはあった・・・けれど、

その催しに参加しないで居ることが出来なかった。

参加しないで、他のことをしていたとしても、

気持ちはすっきりとはいかないと自分でわかっていたからだ。

心安らかに居られないことが自分にわかっている。

小林さんが不参加であっても誰もそのことを気にかけなかったとしても、

そんなことはその時の小林さんの心には関係が無い。

その催しに参加するということしか出来ない意識の状態。

そんなに山田さんに会いたくないなら止めればいいじゃん、

なんて人から言われることさえ、受け入れがたい。

そんなこと言わないでほしい、と思う。

その時の小林さんにとって、そんな選択肢は無い。

他の人にあったとしても、小林さんには無い。

これっきりこれっきりこれっきり・・なんだ。

例え話は違うけど、こういうような経験したことあるから、その気持ちがよくわかる。

田舎は地域の行事が大きな存在感でそこに住む人たちにある。

体調が優れなくても、他にしたいことがあっても、

地域の行事は参加しなければならないという、

その人にとっての心の掟があるように見える。

そんなに体調が悪いなら、止めたらいいのに、と他者が言ったとしても、

そんなこととても出来ないと思いこんでいる。

(そういう行事には参加するもんだ)に、一もニもない。

そういう思い込みをしている、という自覚などない。


こういう意識の状態がAをすることしか出来ない意識の状態と言えるかと思う。







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二つ、三つ 

2012-07-18 10:43:59 | ひとの幸福
身体の動きである(行動)は何かを(やる、やらない)の二者択一だ。

ある瞬間、寝ているか、寝ていないか、のどちらかをしている。

どっちでもない、という状態は無いんじゃないか・・

歩いているのか、歩いていないのか、そのどちらかだし、

食べているか、食べていないか、そのどちらかだし、

どっちでもない、という状態はない。

それに比べ、(思い)は二者択一ばかりじゃない。

好きと嫌いだけじゃなくて、どっちでもない、というのがある。

やりたい、とやりたくない の二者択一ではなく、

やりたいでもなく、やりたくないでもない、というのはあるんじゃないか・・

やってもいいし、やらなくてもいい、というどっちでもいいという思いもある。

目に見える行動は する、しない、の二つのうち必ずどちらかになる。

行為行動に移る前段階の目に見えない思いは、 

Aをすることしか出来ない状態の意識と、Aをしないことしか出来ない状態の意識と、

Aをすることもしないことも出来る状態の意識との三つがあるのかと思う。


行動はやる、やらない、二つのうちの常にどちらかになる。

行為行動の前段階の意識状態は三つの状態がある。
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