ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

全 と 部分

2012-07-24 14:59:18 | 言葉
聖書ヘブライ語では「神=YHWE=GOD=すべてのものに私はなる」

何度もしつこいけど、この言葉が在ることに驚く。

すべて・・とは何か。すべてはすべて・全て・総て・凡て・・全。

このテーブルに在るもの。この世界に在るもの。この宇宙に在るもの。

目に見えるもの、見えないもの。全人類。全宇宙人。

このハンカチ、この私、あの人、このテーブル、これは「全」のうちの「部分」

戦争という出来事、平和という出来事、ケンカという出来事、トラブルという出来事、

みな、「全」のうちの「部分」かと思う。

「すべてのものに私はなる」この私とは聖書の大文字のGOD。

部分であるすべてのもの は 小文字のgod。

godとGODは一体という全体。

どの部分にも全ての痕跡がある。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「変える」 

2012-07-24 11:49:01 | 言葉
「世の中を変える」「社会を変える」・・という言葉がある。

「変える」という動詞には目的語があって、

この場合世の中、とか社会になると思うんだけど、

この言葉には変える側と変えられる側の二つの世界がある。

この場合、主語は見えないけど、主語は「私たち・私」で、それは変える側で、

「社会」は変えられる側ということになる。

なんか、当たり前のこと書いてるなぁ。

変える、というからにはそこには意志が含まれている。

変えたい、変えようという意志がある。

「社会を変える」という言葉はよく聞くけど、

その、変えられるべき社会には自分は含まれていない、というニュアンスを感じる

私は私を変えるという表現もあるけど、上の言葉使いは自分抜きのように聞こえる。

自分が社会に居ないということはないし、社会の一員ではあるんだけど、

「世の中を変えよう」という発想には、

自分は何も変わることはない 変わらなくていい という心がある。

自分以外のものが変われば世の中が変わる、と思っている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小泉さんと笑い

2012-07-24 10:48:49 | ひとの幸福
そうとう時期外れだけど、自民党の元首相の小泉さんを思い浮かべると、

笑顔と、「いけしゃあしゃあ」という言葉が出て来る。

笑いと客観化というのでこの前書いたけど、

小泉さんは今の野田さんや菅さんや自民党の谷垣さんや大島さんや石原さんより、

自分を客観化するという数値が高かったのかなぁという気がする。

何かを公約違反じゃないかと詰め寄られた時だったと思うけど、

「人生いろいろ」とか言って笑ってた。

所謂「いけしゃあしゃあ」というような顔をしていた。

そういう小泉さんをマスコミは結構批判したんだっけ?・・

あまり憶えていないんだけど。したんだろうね。多分。

小泉さんはこれはダメ、あれはいけないこと、というような固定的判断の少ない政治家だったんじゃないかと思う。

なんとなく自由な雰囲気を感じさせた人だったように思う。

そう、軽かった。谷垣さんや野田さんみたいな重さは感じなかったなぁ。

あの笑いは自己客観化していた姿だったのかなと思う。

それをよく「無責任」という言葉で表現するけど、

そうだね、責任が無い、とは心の状態を表わす言葉。

「責任」という観念がその人の中に無い。

「責任」という目に見える現象はないしね~

無責任は無評価、無判断に通じるのかな。

「無責任」というと、すぐに「いけないこと」がセットで付いてるような世の中の気風があるけど、

結構深い言葉だね~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする