ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

理屈なんかどうでもいい ②

2012-07-05 18:47:28 | ひとの幸福
暮らしは実践の場。朝から晩までナンタラカンタラ何かをしてる。

何かをする時にその都度どうするのがいいのか、って考えてたら、

進まない。止まっちゃう。生命は動くもの。

小さな子供がなんであんなに屈託なく振舞っているかといえば、

何にも考えてないからだろう。

考えて事をしてないからだろう。

在るがまま。思うがままという在るがまま。(考えるまま)じゃない。

理屈なんか頭に無い。それが一番楽な生き方。

邪気がない、ともいうけど、この前の「ためして合点」で、

ゴルフなんかの競技をする時に大きな声を出して叫ぶと、

邪念が入り込まないって言ってた。それってスッキリ状態。思いっきり状態。

小さな子供と同じだ。

やる、その瞬間に、うまく打とう、いいカッコしよう、勝ちたい、

なんてのは邪念だって、

あの番組でさらっと言ってたのにはちょっとびっくりしたよ。

まさしくそれは邪念なんだろうね~

邪な(よこしまな)思い・・「邪念」を広辞苑で見ると、

よこしまな思い。不純な考え。みだらな情念。・・だそう。

「邪気」で調べたら、病気などを起こす悪い気。悪気。だって。おやおや・・という感じ。

子供は無邪気だからスッキリ。

えーっと、なにを考えているんだっけ・・

そう、日常は考えず、理屈なんか放り投げていたらいいんだなぁ。

こんなことしていていいんだろうか・・・

・・何かをやってる最中にこんなことを考え出すのはナンセンス。

だって、既にそうしているんだから。

そんなのが浮かんだら、別の時間にじっくり、なんでそういうのが浮かんだのか、

自分を観察することであって、考えることじゃない。

そして、本を読んだり、考えたり、することも、

そうしたいとならない人はそれでいいし、

そうしたくなってしまう人はそうするだけなんだろうし、

こんなこと書いてるのは人にとっては大きなお世話だけど、

書くことで頭を整理してるんだ、わたし。

理屈なんかどうでもいい

2012-07-05 14:00:58 | ひとの幸福
理屈なんかどうでもいい。そう思う。

この場で毎日あーだこーだと頭に浮かぶことを書いてる。

理屈っぽい。ちょっと読んで、(もういいよ)になる人もきっと居る。

私もそういう時ある。このブログでも、どんな本でも読む気になる時だけ読む。

それに、理屈は理屈。ブログはブログ。

日常にそれを持っていったらおかしなことになる。

日常何かをしてる時、理屈を登場させたらいけない。

いけない、と言うより、スムースにことが運ばない。

朝の連ドラ「梅ちゃん先生」に出てくる松岡ドクターは、

ちょっと現実に理屈を持って行き過ぎ。

梅ちゃん先生が悩んでいる時に、

それはこうこうで、こういうことなのだから、悩むには当たらない・・

・・というようなことを彼女に言う。

梅ちゃん先生はそれに対して文句を言う。

そう、文句を言いたくなって当然だ。

でも、松岡ドクターはとても心優しいし、素直だし、

梅ちゃん先生も、それに対し、思ってることをそのまま言うからいいけど。


まぁ、でも、日常の場は哲学する場じゃない。実践する場だ。

考える場と実践する場は分けないといけない。

実践の場である日常の暮らしでは、思いのままに行動するのが当たり前。

考えちゃいけない。考えるとムカデじゃないけど歩けなくなる。

理屈なんかどうでもいい・・日常の暮らしは。

理屈なんかを登場させちゃ窮屈でたまらない。