養老先生が「自分の手を見てるだけで不思議ですよ」と云っている。
虫も同じような分節した手を持っている。
生物の基本的な構築原理が分節というスタイル。
分節がなくて、滑らかな奴はあまりいないそう。
これはどうしてそうなったんだろう、というような生物学の基本的な謎だという。
あるところに注目するとその両側が際立つように処理してしまうのが分節化の作用で、
全体にのぺーっと滑らかなままだと、
択一を迫られたときに選べない、選択できないと働けない、
どちらに行けばいいのかわからないからストップしてしまう・・・
右利きと左利きというのでそれを養老先生はいつも感じていると言う。
それがないといざという時に困る。
例えば利き足がないと、いざという時に逃げるのにうさぎ跳びになってしまう。
とっさの時のためにどちらかを決めておかないと追いつかれてしまう。
社会生活でも同じで何を分担するかはともかく、
ダンナがこれをやって奥さんがこれをやってと決めておかないと
その都度議論する羽目になるから大変なことになる。
どっちがどれをやってもいいんだけど、
どちらが何をするか決めておかないと無駄な時間を喰うから効率が悪い。
生き物は進化の過程で何度もそういうことに遭遇してるはず。
・・・そういった文章が並んでいる。
分けるという作用はそんなふうに生まれてきたものなのかもしれない。
選択を可能にするために、分断できる節がある、左右がある、
凹凸がある、上下がある、高低がある、大小がある・・・
人間の意識が物事を捉えられるのは相対性がないと出来ないこと。
そういう意味で、意識も分節という方法をとっている・・?
B地点でない所に居なければ、B地点に“行こう”と思うことができないし、
あることを今、出来ないから、出来るようになりたいと思える。
けれど、意識が、相対的にしか物事を捉えられない状態から、
物事を絶対的に捉えられる状態にもなれるということが人間にはある。
意識という存在が身体という存在と、
その点では全く異なるシステムを持っているのが、凄いことだし、
何故そうなっているのかが究極の謎のように思う。
虫も同じような分節した手を持っている。
生物の基本的な構築原理が分節というスタイル。
分節がなくて、滑らかな奴はあまりいないそう。
これはどうしてそうなったんだろう、というような生物学の基本的な謎だという。
あるところに注目するとその両側が際立つように処理してしまうのが分節化の作用で、
全体にのぺーっと滑らかなままだと、
択一を迫られたときに選べない、選択できないと働けない、
どちらに行けばいいのかわからないからストップしてしまう・・・
右利きと左利きというのでそれを養老先生はいつも感じていると言う。
それがないといざという時に困る。
例えば利き足がないと、いざという時に逃げるのにうさぎ跳びになってしまう。
とっさの時のためにどちらかを決めておかないと追いつかれてしまう。
社会生活でも同じで何を分担するかはともかく、
ダンナがこれをやって奥さんがこれをやってと決めておかないと
その都度議論する羽目になるから大変なことになる。
どっちがどれをやってもいいんだけど、
どちらが何をするか決めておかないと無駄な時間を喰うから効率が悪い。
生き物は進化の過程で何度もそういうことに遭遇してるはず。
・・・そういった文章が並んでいる。
分けるという作用はそんなふうに生まれてきたものなのかもしれない。
選択を可能にするために、分断できる節がある、左右がある、
凹凸がある、上下がある、高低がある、大小がある・・・
人間の意識が物事を捉えられるのは相対性がないと出来ないこと。
そういう意味で、意識も分節という方法をとっている・・?
B地点でない所に居なければ、B地点に“行こう”と思うことができないし、
あることを今、出来ないから、出来るようになりたいと思える。
けれど、意識が、相対的にしか物事を捉えられない状態から、
物事を絶対的に捉えられる状態にもなれるということが人間にはある。
意識という存在が身体という存在と、
その点では全く異なるシステムを持っているのが、凄いことだし、
何故そうなっているのかが究極の謎のように思う。