ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「万物が生ずる根元」

2012-07-25 19:25:03 | 言葉
天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの。又、その動き。

自然現象。万物が生ずる根元。

生命の原動力となる勢い。活力の源。

・・・これは広辞苑で、「気」という言葉の意味として出ていた一部なんだけど、

それが本当に実在と一致しているのかどうかは知らないけれど、

日本語では「気」をそういうものとしてずーっと使って来たという事実はあるんだろうと思う。

日本語は気をそういうものとして扱って来た。

このことは凄いことだと思う。

「言葉は神であった」と言える位のことだと思ってしまう。

ヒッグス粒子がこの宇宙に物質をもたらした元だとかのニュースが最近流れて、

それは大発見らしいけど、

もしかして本当にそうなのかもしれないけど、

それがわかっても、ヒッグス粒子・・あ、そう、くらいで、

関心の無いひとも結構居るんだろうと思う。

ヒッグスでもビッグズでもエックスでも万人に関心は持たれない気がする。

だからどうした・・という気もする。(わたし)

それが実際に私たちが生きているそのことに、どういう意味があるのか、

物質があるようになったわけなのかもしれないけど、

それだけじゃ、面白くない。

宇宙に物質が存在するようになったのはヒッグス粒子があったからです。

あー、そうですか。面白くも何とも無い。

もっとわくわくするような解釈がほしいな。

「気」という字の意味の方がずっとわくわくする。


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「なにげに」

2012-07-25 18:59:42 | 言葉
「気」 を広辞苑で見ると、いやいや、たくさん並んでいる。

一番最初がこれだ。

「天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの。又、その動き」

あとは・・・

「自然現象。万物が生ずる根元。

生命の原動力となる勢い。活力の源。

心の動き・状態・働きを包括的に表わす語。

精神。事に触れて働く心の端々。持ち続ける精神の傾向。人がら。

ある事をしようとする心の動き。つもり。

ある事をしようとして、それに引かれる心。関心。

根気。あれこれと考える心。

感情。空気。大気。気体・気圧。あたりにみなぎる感じ。

鬼気・霊気・雰囲気。呼吸。いきづかい。

その物本来の性質を形作るような要素。特有の香や味。」

「け」としては・・・

「様子。けはい。心もち。ここち。気力。心身の力。

病気。生まれつき持っているもの。持ちまえ。なんとなく。

そのような様子。傾向が感じられること。」

「気」というだけでこんなにある。それもかなり意味が深いものが多い。

なんだか凄い気がする。圧倒される。

辞書というものは、言葉がこんなふうに世の中で使われているという実際の使われ方が出ている。

そんなこと当たり前のことなのかもしれないけど、驚いてしまう。

広辞苑で「気」を見ても、『太平記』とか、蕪村の歌とか、

他にもいろいろな引用例が出ている。
 
昔からたくさんの人が実際に日々それを使って来たことが、

広辞苑に出ているというそのことが面白いと感じる。

言葉は日常的に使うもの。生きているもの。

流行語だとかもある。

文法上おかしいんじゃないか・・なんていう指摘があったって、構やしない、

だって通じてるんだから・・みたいなことが起こるのも、

言葉が生き物だということの現われなんだろうなぁ。

「なにげに」なんてのも昔はなかった。

語源は「何気ない」なんだろうと思うけど、

それだとすると「何気に」は意味なんか殆どないみたい。

言葉が人と人との関わりに実際に使われている、ということが、

理屈を吹っ飛ばすんだろうか。

この「なにげに」もいつか、広辞苑に載るんだろうか。

それともなにげに消えて行くんだろうか。
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気にしない・気にならない

2012-07-25 15:44:42 | 言葉
気にしない・気にならない

日本語で「気」という字を使う言葉遣いはすごく多いし、なかなか面白いと感じる。

ひとが何かを気にして悩んでいるときなどに、

「そんなこと気にすることないよ」とか「気にしないで」とか言うことがある。

「あのことが気になるのよ」と聞いて、

「気にならないで」という言い方はしない。

「気にすることないよ」か、「気にしないで」が自然に感じるものだ。

そういう言葉をかけてくれる気持ちは嬉しく感じるけれども、気にならない状態にはならない。

なる、ならない、は本人の状態で、それは他者が直接的にどうこう出来る範囲を超えているので、

他者に向かって言う言葉としては、「気にならないで」というのは不自然に感じるんだろうか。

他者が言うことが出来るのは「気にしないで」「気にすることないよ」止まりなんだろう。

そしてそれすらも言葉の奥にある愛には気付くけど、

言葉自体には効能があるとはいえない。

気になっている自分に声かけるとしても、

気にしないようにしよう・・とは呟くかもしれない・・・なんか空しいけど・・

気にならないようにしよう・・とはつぶやかない。

気にならなくなりたい・・・そう思うこともある・・かもしれない・・

心の状態について、言う時に、

そういう表現をするしかない、この自然感覚が面白いと感じる。

生まれた時から日本語を聞き、使って来た私たちは、

「なる」という言葉の深さを知らないうちに身に付けてしまったみたい。
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