思い出すというのは時を止めて、過去の場面のその瞬間を観ること。
自分の心のたくさんの瞬間を今ここで観ることが出来る。
それはタイムマシンに乗ってる、ということだね~。意識は時を超える。
「そうすると時間の問題が消えちゃうんですよね」・・
という養老先生の発言はこうして出て来るのか~。
そう、そうなんです、って福岡先生も云ってた。
意識に過去や未来なんて無い。在るのは今ここという瞬間だけだから。
ふーん、なるほど。
いやいや、そんなことを言いたくてこうしているんじゃない。
過去のたくさんの意識瞬間を観察することで、
今ここでは、それがそうなったプロセス
(例えば、その時腹立ったこと、笹舟がそこに在るということ)は、
こういう流れなのではないかと推察出来るようになる。
幾つもの止めた瞬間を観察して、それを繋ぎ合わせるのは今ここという意識。
“時空を経た全体”を観ようとする意識が、
人の言動を観るその時に、働くようになるのではないか・・・
幾つもの止まった部分を合わせて~こういうプロセスがあったのではないかと、
その時受け取れる。
それが「全体を見て動く」
この全体とは空間的な全体だけでなく、時間的全体も含む。
全体と言い切ることは出来ないけど、
それまでの時空を経たプロセス全体を見ようとする意志があるか、ないかで、
反応が変わって来るのではないかと思う。
やはりその意志も境地から出発するものと思う。
自然と全体を見ようとなる・・そういう境地に在る・・というか・・・
ここまで、書いてきて、
養老先生の発言がわからないことがわかってて、よかったぁ、と思ったよ。
自分の心のたくさんの瞬間を今ここで観ることが出来る。
それはタイムマシンに乗ってる、ということだね~。意識は時を超える。
「そうすると時間の問題が消えちゃうんですよね」・・
という養老先生の発言はこうして出て来るのか~。
そう、そうなんです、って福岡先生も云ってた。
意識に過去や未来なんて無い。在るのは今ここという瞬間だけだから。
ふーん、なるほど。
いやいや、そんなことを言いたくてこうしているんじゃない。
過去のたくさんの意識瞬間を観察することで、
今ここでは、それがそうなったプロセス
(例えば、その時腹立ったこと、笹舟がそこに在るということ)は、
こういう流れなのではないかと推察出来るようになる。
幾つもの止めた瞬間を観察して、それを繋ぎ合わせるのは今ここという意識。
“時空を経た全体”を観ようとする意識が、
人の言動を観るその時に、働くようになるのではないか・・・
幾つもの止まった部分を合わせて~こういうプロセスがあったのではないかと、
その時受け取れる。
それが「全体を見て動く」
この全体とは空間的な全体だけでなく、時間的全体も含む。
全体と言い切ることは出来ないけど、
それまでの時空を経たプロセス全体を見ようとする意志があるか、ないかで、
反応が変わって来るのではないかと思う。
やはりその意志も境地から出発するものと思う。
自然と全体を見ようとなる・・そういう境地に在る・・というか・・・
ここまで、書いてきて、
養老先生の発言がわからないことがわかってて、よかったぁ、と思ったよ。