昨夜なんとなくテレビを見てたら「サラメシ」という番組だった。
多分サラリーマンの昼飯で「サラメシ」なんだろう。
作家の角田光代さんが出ていた。「八日目の蝉」を書いた人だ。
それを読んだことがあるので、興味を持って見た。
彼女は毎日昼飯に自分で作った弁当を食べているよう。
「小説はこういう感じのを書こうと思って書き始めても、
全然そうならないのに比べて、
料理というのは、餃子を作ろうと思うと餃子が出来るんですよね~」
・・というようなことを言っていた。
なんて正直な感想なんだろうと思った。
餃子は行動することで出来る。
物質的なこういう物を作ろう、と決めると、
材料を揃えたり、刻んだりして手を動かすことでそれが出来上がる。
小説は行動することで出来上がることはない。
ペンで書く、とかパソコンに文字を打つというのは行動だけど、
餃子と違って文字は行動して、この世に出てくるもんじゃない。
意識が文字を書かせる。意識は止まっていない。
書く、表現することで意識の流れが変わることがある。
小説じゃないけど、こんなふうな文章を書いていて、それはしょっちゅう実感する。
意識は生き物だ。意識はやはり生命なんだと実感する。
多分サラリーマンの昼飯で「サラメシ」なんだろう。
作家の角田光代さんが出ていた。「八日目の蝉」を書いた人だ。
それを読んだことがあるので、興味を持って見た。
彼女は毎日昼飯に自分で作った弁当を食べているよう。
「小説はこういう感じのを書こうと思って書き始めても、
全然そうならないのに比べて、
料理というのは、餃子を作ろうと思うと餃子が出来るんですよね~」
・・というようなことを言っていた。
なんて正直な感想なんだろうと思った。
餃子は行動することで出来る。
物質的なこういう物を作ろう、と決めると、
材料を揃えたり、刻んだりして手を動かすことでそれが出来上がる。
小説は行動することで出来上がることはない。
ペンで書く、とかパソコンに文字を打つというのは行動だけど、
餃子と違って文字は行動して、この世に出てくるもんじゃない。
意識が文字を書かせる。意識は止まっていない。
書く、表現することで意識の流れが変わることがある。
小説じゃないけど、こんなふうな文章を書いていて、それはしょっちゅう実感する。
意識は生き物だ。意識はやはり生命なんだと実感する。