ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

稲荷さんの祭り

2012-07-23 17:20:41 | 日々の暮らし・思い出
今日は近くの神社の祭り。

もうじき96歳になる義父にとっても、夫にとっても懐かしいお祭りなんだろうと思う。

さっき音だけの花火が上がり、いや、音だけじゃなく、

バンと鳴った後に白い紙が捻ってあるものがひらひら落ちてくる。

集落の数人の子供や子供より多い大人が寄ってきてそれを拾う。

祭りの景品がそれに書いてあり、拾った人がそれを貰うというイベント。

ここに来てもう7年目になる。

打ち上げ花火は浜まで行って見るけど、

この景品花火を見に行ったのは初めてだ。

祭りの雰囲気の元の出店も祭囃子も何もないけど、

ひらひら舞う白い紙とそれを取ろうとする笑顔は祭りの雰囲気を少し感じさせてくれた。

自分の目の前にそれが来たら、拾いたいなぁと思った。

自分の前には落ちて来なかった。

景品を貰うという経験をしたくないわけじゃないんだけど、

まぁ、いいや、とすぐに思ってしまう。

夫はその景品を渡す係りをやっていて、

誰にも当たらなかった西瓜をニコニコ顔で貰って来た。

200個くらいの景品があったそうだけど、白い紙は海に落ちたり、山に落ちたりして、

人の手に渡らないで終わってしまうものも多いらしい。

残った景品ですぐに賞味期限切れになるようなものは、

係りで頂くようになっているそう。

暗くなったら打ち上げ花火が上がる。

少ない数だけど、私にはちょうどいいといつも思う。

エンエンと打ち上げ花火を見たいという気持ちがあまりないもんで。

夕飯は近くの鮨屋さんのものを受け取りに行く。

義父が取ろうかと言ったので、頼んだ。

昔から祭りの日はご馳走だ。

今は毎日が祭りみたいだけど、やはり義父にとっては特別な日なんだろうと思う。

さぁ、行って来よう。

そうそう、義父がさっき寿司を取りに行く時、一緒に行くと。

町内の祭りの飾り付けを見たいんだそう。






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全体という存在 ②

2012-07-23 14:19:32 | 言葉
ヨハネの福音書の、一章一節に

「初めに言葉ありき、 言葉は神と共にありき、 言葉は神であった」という文があるらしい。

ここでいう言葉とは日本語のことだ、という見解が載っていた本を読んだことがある。

なんという本だったのか、誰が作者だったのかも憶えていない。

へー、そういう考えもあるのか、とその時は思った。

そんな馬鹿な、ともちらっと思った。

その当時より今は日本語の凄さを常々感じているので、

その線で考えてみると・・・

特にこの言葉・・「一体全体どうしたの?」と「なる」。

一つの現象を見聞きして「どうしたの?」「どうしたんだろう?」という疑問を発することがある。

その語の前に「いったい」が付くこともある。

一つの現象に対して「“一体全体”どうしたんだろう?」という言葉が在るということに驚く。

その現象が全体の一部分だということをこの言葉は知っているかのようだ。

「初めに言葉が在った。言葉は神と共に在った。言葉は神で在った。」

そして「神」はヘブライ語で「全てのものに私はなる」という意味だという。

日本には言霊という考えがある。

言葉に神が宿るというように古代の人は思っていたよう。

他の国の言葉を知らないので、比較して言うことは私にはできないけど、

「どうしたのか?」に何故“一体全体”が付くのか???

どうして日本語にこういう表現が在るのか???

どうしたの? は どうなっているの? でもあるかもしれない。

なる のは なるべくしてなる。

生る・成る・為る・鳴る・という字が在る “なる”

生る は生まれる。生まれるには生まれるだけのわけがある。

成る は成り立つ。成り立つは出来上がる。

為る は行為する。行為は前段階の意識から起こる。

全部プロセスを窺わせる言葉だ。

「どんな」の な、「こんな」の な、

「そうなの」の な、「それなら」の な、

「なるたけ」の なる、「なるほど」の なる、

「こなれる」の な、「なれずし」の な、

「なれる」の な・・・

語源は一つのように勝手に思う。まぁ、思うのはいつだって勝手なもんだ。

神とは生命・・そんな気もする。

全然起承転結してない文章だけど・・思うが侭書いた。

 

 







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