ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

井の頭公園で

2012-07-11 19:31:37 | 量子力学と心
前に井の頭公園の露出狂についての対応について書いたけど、

これは又別の出来事。

やはり、その公園の傍に住んでいた20歳頃の話。

公園の中を歩いて我が家への帰り道。夜。

突然後ろから抱きつかれた。もうぉ、びっくりしてびっくりして、

「あー、びっくりした、びっくりした、びっくりした、もうぉ驚かさないでよ~」

何度も「びっくりした」を連発した記憶がある。

そのひとは困ったような顔をして、

「これから付き合わない?」みたいなことを言った。

「今は疲れててとてもそんな気分じゃないなぁ、又別の日にしてくれない?」

そんなふうなことを私は言った。その瞬間の本当に正直な気持ちだった。

なんの計算もなかった。

そうしたら、その男の子はそうか、とか言って去って行った。

やれやれ、という感じでそれは終わった。

露出狂(後でわかった)のことでの対応と同じようだったのかと思う。

後ろからいきなり抱きつかれたという現象に対して、

いやらしいとか、痴漢行為だとかの解釈がなかった。

ただただ驚いた。

何するのよ~!ということにならなかった。

何するのよ~!を発せられるのは、

その行為が(非難されるべきもの)だとわかっていなければならない。

かといって、私が夜な夜な男を漁っていたと云う事実があったわけじゃない。

(歓迎すべき事)と解釈していたわけじゃない。

その行為になんの解釈もその時なかったんじゃないかと思う。

驚いたというのは生物学的反応なのか。

けど、この体験も後の私に知恵を授けてくれたと思う。


その男の子もその時点で在るがままだった。

その時点の私も在るがままだった。

被害者がいなければ加害者はいない。

加害しようと思った瞬間があったとしても、

その後の時空の流れの中での相互作用で、そういう気持ちは自然消滅することもある。

量子物理学で「強め合う干渉・弱め合う干渉」という現象がある。

水面に二つの小石を落とす時に、二番目をやや遅れて落とすと、

最初に落とした小石の波紋と二つ目の波紋とは周期が揃わず、位相がずれた状態になって、

両者が合体するとプラスマイナスゼロになって、波が消えてしまうというもの。

これを弱め合う干渉というらしい。

強め合う干渉のメカニズムを利用して腎臓結石の治療に応用されるらしい。

彼のその時の意識波動をプラマイゼロにしてしまう意識波動を、

その時の私は発したのかなぁと思う。

どうだろうね~



生命とジグソーパズル

2012-07-11 18:48:10 | 本を読んで
生命の動きをジグソーパズルになぞらえて福岡先生は云っている。

ひとつひとつのパズルは全体を知らなくても、

隣近所と仲良くぴったりうまくやっていくので、

全体を知らなくても、全体を形作ってしまう。

流れる時間を俯瞰的に見ると、

全体として動いているように見えてしまうだけで、

その時その時細胞は全体を見て動いているわけじゃないと先生は云っていた。

そういうふうに私は読んだんだけど。違うかな・・・

以前に読んだ細胞生理学者のブルース・リプトン氏の本には、

脳の指令は部分の指令に優先するということが書かれてあったぞ、確か。

細胞の核ではなく、それを包んでいる細胞膜が大きな役割をしている所で、

それは隣近所と情報をやり取りしあって、

自分のやることを決めているところでもあるけれど、

また、中枢神経系からの指令であるアドレナリンによる指令を受けているところでもある。

その中枢神経系からのアドレナリンによる指令は、

隣近所からの情報に合わせて生まれる局所的なシグナルであるヒスタミンによる指令に優先する

ということが実験でわかったという文章があった。

やっぱり、多細胞生物の細胞は全体を見て動いている・・・

いや、違う・・細胞という部分は全体を見る能力は無いけれど、

全体を見る場である中枢神経系からの情報を受け取る能力が在る、ということだ。

一つの細胞には出来ない事を中枢神経系がやっていて、

細胞膜はそのことを知ってか知らないでか、わからないけど、

その指令を受け取る能力が在って、

それを指令通りに遂行できる。

局所的なシグナルという指令が来ても、それは後回しにするらしい。

全体を見ている所からの指令だと細胞膜はわかっている、ということなんだろうか?

細胞膜は全体を見る能力は無いけど、

そのシグナルは全体を見られる所から来ているとわかっている・・・

わかっているというより、そう、最初から、存在自体がそうなっている。

そういうものとして存在している・・・

こういう表現の方がぴったりかも。


これは人間の意識の仕組みで云うと、どういうことだろう。

一人一人の顕在意識は、全体を俯瞰的に見ることができる能力はないけれど、

瞬間瞬間の心に、全体を見る能力のあるところから指令が来る。

一人一人の人間の心には全体からのシグナルが来るようになっている。

最初からそういうものとして存在している・・・

・・そうなっているのではないか・・・?!

局所的な指令を優先して、全体・・からの指令は無視されることが人間の意識ではしばしば起こる・・・

すると、全体を見る能力のあるところから、それを揺り戻そうとする指令が来る・・・

そう、動的平衡という生命の意志が働く・・・

勿論そのシグナルはその人間の「外部」から来るものじゃない・・・

自分さえよければいいという状態になったとき・・

よかれと思って、他者にそうしたことで起こった現象が、よくない結果になったと悟った時。

・・どんな気分になるか・・・

気分はシグナル・・・

母の凄い言葉

2012-07-11 13:41:09 | 日々の暮らし・思い出
父のことを少し書いたけど、父と母の二人が関係するエピソードを一つ。

この記憶が私が何歳の頃のものなのか、覚えがない。

実際にその場面を見たという確信はない。

多分、後年に母が語ってくれたものだと思う。

母が語ったのを聞いたという記憶なのか。

それも本当に在ったことなのか、母の捏造なのか、冗談なのかわからない。

もう確かめる術はないけど。

父が自殺しようと大きな川に出かけた。飛び込もうということなのか・・

玄関にずぶぬれの父が立っていた。

それを見た母はなんと言ったか・・・

「一度やってうまく行かないから帰ってくるなんて!もう一度行って来い!」

そう言ってやった、と笑いながら話してくれたような気がする。

私もその時、笑って聞いたような気がする。

深刻になった覚えが無い。だから、作り話なのだろう、やっぱり。

父のことをそんなことが出来るような男じゃない・・と確信があったからこそ言えた言葉だろう。

こういう母でなかったら、あーいう父じゃなかった・・

何もかもが相互作用によって起こる・・・と思う。

人間観

2012-07-11 11:33:30 | ひとの幸福
人間ってそんなに変わらないもんだよ。

こんなもんさ、人間って。

そういう言葉はこの世にある。

でも人は変わる。変わって来ている。

新聞や本を読んだり、テレビを見たり、実際の人を見てもそう思う。

人は変わるもんだ、進化するもんだという人間観になればいいなぁと思う。

そういう人をたくさん見ること。

自分がそういう人になること。

こういう二つの方法がある。