ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

他を動かす手

2012-07-30 09:48:47 | ひとの幸福
人間以外の生命である太陽、地球、月、星、植物、動物は他を動かそうと作為しない。

結果的に見ると、台風で大雨が降り、

山が崩れて土砂が流れ落ち、木々をなぎ倒し、

家を流し人が死ぬというようになることはあるけれど、

台風は他である山や木々や家や人間を動かそうという作意はない。

その時のさまざまな相互作用で、ただ在るがままに動いているだけだ。

動物の一部は他の動物を食べる為に殺してしまうことがあるけれど、

それは生きたいという本能が起こす行動であって、

他をなくしたいという作為はないと思う。

人間以外の動物って書いたけど、

人間も生命ある豚や牛や鶏を食べるなぁ。

それをなくしたい、殺したいという作意はないということなんだろうけど・・・

(こう考えると、そういう行為はやはり動物並みということになるね~、脱線だけど)

神や仏がわたしたちをどうこうすることは出来ない。

私たちをどうこうできるのは私たち人間。

他を動かす手を持っている私たち。

手を持っているからこそ、山から木を切り、材木にし、家を作る。

地球を掘り石油を取り出す。

そうこうして文化があり、文明がある。

私たち、私たちが住む世界、生きる人生、をどうこうできるのは人間である、

という事実は何を云ってるか・・というと・・・

それを出来る手段を持っているということだ。

それは頭脳であり、精神であり、意識であり、心であり、思考だろう。

それによって言葉を使えること、

脳の指令で動く身体があるから行為できること、

意識を持っているから経験を頭に入れられること。

経験があるからこそ、どんなものでも経験を活かしてよりよきを創れる。

経験は心も身体も含む。体験は身体の経験だ。

造物主は手を持たないという湯川博士の言葉が云っているのは、

造物主は作ることは出来るけれど、体験は出来ない・・ということなんじゃないだろうか。

造物主は体験を可能にする「身体」がないから。

物質ではないから。

神・生命は心と身体を持つものとして人間を創造した・・・

他の生物とは異なる特色を持つ人間を神は何故創ったんだろう・・・???



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6年生の孫が来る

2012-07-30 07:55:56 | 日々の暮らし・思い出
今日は夫の孫が遠くからやって来る。

新幹線を乗り継いでそれから私鉄に乗ってやって来る。

一人で来るのは今年で4回目。いつも半月ほど居る。

今年はもう6年生だ。どれだけ大きくなっているだろう。

一年に一度だけ会う。

ここにも書いたことがある記憶があるんだけど、

彼女を去年傷つけた。いや、意識的に傷つけたわけじゃないけど。

その時、彼女の言うことをそのまま聴けなかった。

「そんなのは良くない事」がでーんと私に在って、

それがあるから、そういう言動をした5年生に冷たくあたってしまった。

割とすぐにその時の自分を観察し、凄く悔やんだ。

なんて酷い私だったんだろうって。

その時の彼女の顔、鮮明に憶えている。

そんなことが在っても、又、今年もここに来たくて来てくれる。

ありがたい。今年は自分が去年より進歩した実感はあるけれど、

彼女とどういう経験ができるだろう。

すごく楽しみ♪

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