ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

暑い夜

2012-07-20 21:47:31 | 日々の暮らし・思い出
昨夜目が覚めた。

蚊がブーンと飛ぶ音がした。

既に刺されていた。暑かった。

しばらくして電気蚊取りと扇風機のスイッチを入れた。

掌や脛や腕や何箇所も刺され、痒いし、暑い。

でもなんか違う・・・いつもと違う・・・

イライラしない。不快という感じじゃない。

前は当然のように不愉快だった。

夜中の痒みや暑さが不愉快だった。

昨日だか書いたけど、

苦しみというほどじゃないけど、

苦しみを苦しまない・・こういう感じなんだろうか?

ちょっと自分でも驚いてる。昨日だけそういう感じだったのかもしれない・・

今日は涼しい。雨が降ってる。

昨日の刺されたあとがまだ変に痒い。

蚊じゃなかったみたいだ。






より快適を・・・

2012-07-20 21:17:47 | ひとの幸福
ひとはどんな行動をする時でも、より快適な方を常に選んでいる。

そうなんじゃないかと思う。

18日に「二つ、三つ ③」で書いたけど、

小林さんは催しに参加することを選んだ。

山田さんに会いたくない・・・気持ちはあった・・・けれど、

その催しに参加しないで居ることが出来なかった。

参加しないで、他のことをしていたとしても、

気持ちはすっきりとはいかないと自分でわかっていたからだ。

心安らかに居られないことが自分にわかった。

催しというイベントに意味があるとかないとかで参加するか、しないか、

を決めるというより、

参加するのとしないのとその時間どっちがより快適で居られるか・・で選んでいる。

選んだという自覚はなかったかもしれないけれど、

参加している方がしないより快適とわかっていたから、それを選んだ・・・

この例ではそういう選択肢をとった。

そのイベントにあまり参加したいというのは無いけど、参加する、

という選択肢を選ぶ場合もある。

それもそうしないより、する方がいろんな面で自分にとって快適と感じるからと思う。

働きすぎで死ぬという過労死という問題も、

身体が参っても、眠れなくても、食欲が落ちても、

親から心配されても、出勤するという選択肢を選んでいるのかと思う。

他に人がいない、休むと後で困る、上層部からそうするように言われているから、

・・・そういうような理由があるからなのかと思う。

休むより、出勤する方が気持ちがより楽なので出勤するのかと思う。

こんなこと言うと批判されるだろうけど・・・

それが悪いと云ってるわけじゃない。

無意識のうちに気持ちがより快適な方を選んでいるんじゃないかと思う。

所謂、意志が強い人も弱い人も、

行動はその時点でより快適な方を選んでいる・・のかと思う。
















2012-07-20 20:35:45 | ひとの幸福
またまたしつこいんだけど・・・

「意識は止まったものしか見えない。

止まって見える原因は意識にあるんじゃないか・・と考えている」

と、養老先生の発言にあった。

今日、又読んでて、この表現が自分にぐっと入ってきた。


意識は止まったものしか扱えない、という表現で考えてきたけど、

止まったものしか扱えないのは、止まったものしか見えないから。

そうなんだ!意識は(今ここ)という視点からしか発せられないからだ。

今、今、今、今、という連続という表現も出来る。

見る、聞く、感じる、意識は今ここ、という一点からのみ。

止まった情報、止まった情報、止まった情報、止まった情報、の連続で、

その一つ一つは全部違う。

時と共に変化している、という表現をすることもある。


過去の記憶も思い出す(今ここ)に在る。

未来もそれを思う(今ここ)に在る。

時・・というものは『今』しかないからなんだ!

時、は観念、意識の中にあるのだから。意識は(今、ここ)からのみ。


私たちや宇宙の動きを表わすのに、時という目盛りは便利で重宝しているので、

つい実在かのように思ってしまうけど、

どれが時か?なんて指差せるものはない。動きを表わす単位が頭の中にあるだけ。


養老先生は、止まったものしか見えないという意識の機能が、

情報化社会を招いたんじゃないか、という推察をよく書いている。


[ネットのウィキペディアによると・・・情報社会(じょうほうしゃかい)とは、

情報が諸資源と同等の価値を有し、それらを中心として機能する社会のこと。

また、そのような社会に変化していくことを情報化(じょうほうか)という。

狭義には、そのような社会へと変化しつつある社会を情報化社会とし、

そのような社会を情報社会と定義して区別する場合がある。

この場合は情報社会を発展させたものを高度情報化社会(こうどじょうほうかしゃかい)、

高度情報社会(こうどじょうほうしゃかい)と呼ぶこともある。]

情報が止まったものしか扱えないから、

情報化社会を招いた原因は、
 
意識の機能なんじゃないかと養老先生は云っているようだ。

そう考えているのだなぁと受け取っているのだけど、

どうもしっくり来ない。

その考えにそうか!なるほど が無い私だ。

情報化社会に“なった”のは様々ないろんな相互作用によって起こったのであって、

そういう意識の機能が原因とはどうしても思えない・・

そのうち、何かまた出てくるかもしれない・・・