最後に、こういう文章があった。
「最近、ハイゼンベルグの測定限界の問題が再び脚光を浴びました。
『人間が測定できないだけで確定した値がある』
という考え方も完全に消えたわけではありません。
多くの物理学者はどう考えているのでしょうか。
北島雄一郎日本大学助教は、
『それについては考えないというのが一番主流の考え方だと思います』と言います。」
・・・以上。これが超面白い。
人間が測定できないだけで確定した値がある・・・
このことってどういうことなんだろう???
人間が月が在ると思わなくても、
月は在るというようなことだろうか。
アインシュタインの叫びだね、これ。
地球も月も他の星座も人間が居ないときから在ったわけだし。
けれど、この文章、それらが今ここに出現するのは、
言葉によって。
月が存在していても、それを人間が知らなかったら、
「月が存在する」という言葉は無い。
「人間がいないうちから月が在ったわけだし・・」
「月が在ると思わなくても、月は在る」
と言えるのは既に月が在ると知っているからだ。
日本の山奥の何処かに金塊が在っても、
それを人類全員が知らなければ、
「そこに金塊が在る」という言葉は無い。
「誰も知らなくっても在ったんだし」なんて言葉も有りようが無い。
私たち人類全員にとってそれは無いということになるのかな・・・
いや、在るも無いも無い、ということか。
「それについては考えないというのが一番主流の考え方だと思います」
の通り。
ようするに考えようがない、ということか。
無を考えろ、ということは不可能だからね。
でも「無を考えろ」という言葉はある。
数学でも無・ゼロが確かにある。なければ困る。
こう考えると、
量子力学は意識力学だし、理論物理学は哲学だし、
数学は哲学だし・・ということになるよね、やっぱり。
「最近、ハイゼンベルグの測定限界の問題が再び脚光を浴びました。
『人間が測定できないだけで確定した値がある』
という考え方も完全に消えたわけではありません。
多くの物理学者はどう考えているのでしょうか。
北島雄一郎日本大学助教は、
『それについては考えないというのが一番主流の考え方だと思います』と言います。」
・・・以上。これが超面白い。
人間が測定できないだけで確定した値がある・・・
このことってどういうことなんだろう???
人間が月が在ると思わなくても、
月は在るというようなことだろうか。
アインシュタインの叫びだね、これ。
地球も月も他の星座も人間が居ないときから在ったわけだし。
けれど、この文章、それらが今ここに出現するのは、
言葉によって。
月が存在していても、それを人間が知らなかったら、
「月が存在する」という言葉は無い。
「人間がいないうちから月が在ったわけだし・・」
「月が在ると思わなくても、月は在る」
と言えるのは既に月が在ると知っているからだ。
日本の山奥の何処かに金塊が在っても、
それを人類全員が知らなければ、
「そこに金塊が在る」という言葉は無い。
「誰も知らなくっても在ったんだし」なんて言葉も有りようが無い。
私たち人類全員にとってそれは無いということになるのかな・・・
いや、在るも無いも無い、ということか。
「それについては考えないというのが一番主流の考え方だと思います」
の通り。
ようするに考えようがない、ということか。
無を考えろ、ということは不可能だからね。
でも「無を考えろ」という言葉はある。
数学でも無・ゼロが確かにある。なければ困る。
こう考えると、
量子力学は意識力学だし、理論物理学は哲学だし、
数学は哲学だし・・ということになるよね、やっぱり。