ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「不確定性」②

2012-07-28 12:52:25 | 量子力学と心
最後に、こういう文章があった。

「最近、ハイゼンベルグの測定限界の問題が再び脚光を浴びました。

『人間が測定できないだけで確定した値がある』

という考え方も完全に消えたわけではありません。

多くの物理学者はどう考えているのでしょうか。

北島雄一郎日本大学助教は、

『それについては考えないというのが一番主流の考え方だと思います』と言います。」

・・・以上。これが超面白い。

人間が測定できないだけで確定した値がある・・・

このことってどういうことなんだろう???

人間が月が在ると思わなくても、

月は在るというようなことだろうか。

アインシュタインの叫びだね、これ。

地球も月も他の星座も人間が居ないときから在ったわけだし。

けれど、この文章、それらが今ここに出現するのは、

言葉によって。

月が存在していても、それを人間が知らなかったら、

「月が存在する」という言葉は無い。

「人間がいないうちから月が在ったわけだし・・」

「月が在ると思わなくても、月は在る」

と言えるのは既に月が在ると知っているからだ。

日本の山奥の何処かに金塊が在っても、

それを人類全員が知らなければ、

「そこに金塊が在る」という言葉は無い。

「誰も知らなくっても在ったんだし」なんて言葉も有りようが無い。

私たち人類全員にとってそれは無いということになるのかな・・・

いや、在るも無いも無い、ということか。

「それについては考えないというのが一番主流の考え方だと思います」

の通り。

ようするに考えようがない、ということか。

無を考えろ、ということは不可能だからね。

でも「無を考えろ」という言葉はある。

数学でも無・ゼロが確かにある。なければ困る。

こう考えると、

量子力学は意識力学だし、理論物理学は哲学だし、

数学は哲学だし・・ということになるよね、やっぱり。


「不確定性」

2012-07-28 11:22:04 | 量子力学と心
「不確定性とは」という記事が今朝の朝日新聞に載ってた。

「今さら聞けない」というタイトル。

素粒子の世界では・・・

「金塊の重さの例で言えば、量り方や器具に問題があるのではなく、

量るたびに重さが変わっている、あるいは、そもそも本当の重さなんてないということです。

真の値など元々ないというのが実際の物理現象に近い解釈なのです。

測定と無関係に、確定している量など存在しないというように、

この世は作られているというのです。」

・・・引用。

本当に面白い。

量ろうとすると対象は変わってしまう。

素粒子という極微小の世界ではそうなっている。

・・この世はそのように作られている。そうこれは物理現象だから。

ミクロがそうならマクロもそう。

「測定と無関係に確定している量など存在しない」この言葉の凄さ!

私たち人間界というマクロの世界では、

観測(見方・観ること)と無関係に、その対象など存在しない。

そのことに確信持ってる。

2012-07-28 09:23:03 | 日々の暮らし・思い出
ひとにはいろんな癖がある。

このまえの「ためしてガッテン!」では

身体の癖が身体の不調快調に関係あるらしい、という話だった。

自分の癖はわからないが、ひとの癖はよくわかる、ということもある。

本当にそうだ。自分はなかなか見えない。

「なくて七癖」という言葉もある。

歩き方なんかも癖がある。一人として同じ歩き方のひとはいないような気がする。

モデルなんかは凄く訓練してモデル歩きが出来るようになる。

私も外股歩きはしなくなったけど、

靴底はいつも外側が減る。そういう歩き方をしているんだろうな。

字も人それぞれ癖がある。そしてやはり字も訓練してかなり上手くなったりする。

でも継続しないと元に戻る。

美しい字を書けるようになりたいと思って、せっせと毎日何時間も練習に励んだことがある。

子どもの頃の話じゃなくて10年くらい前のこと。

今思うとよくそんなことをやったなぁと思う。

上手な字の文章を下において透ける紙を上に置き、なぞる。

きれいな字を書けるようになりたい一心で、ただただ美しい字を真似た。

このやり方は効果があった。

この練習以前より、今の方が癖は減ったかなと思う。

お手本にした字までは行かなかったけど。

そうそう、私の髪は癖ッ毛だ。生まれつき。母もそうだし、次女もそうだ。

字の癖も髪と同じ生まれつきなんだろうな。

顔立ちも癖といえば癖のようなもんか・・違うか・・生まれつきだし。

声も生まれつき。声も癖がある。

性格の癖みたいなのもある。生まれつきの要素もかなりあると思う。

私はひとからよくいつも元気だとか、さっぱりしているとかさばさばしてると言われる。

訓練してさっぱりしてるようになったんじゃなくて、

気が付いたらそうだっただけだ。なんの努力もしていない。

生まれつきの癖みたいなもんだ。

美人もそうなんだろ。気が付いたら美人だった、というわけだ。

歩き方や字も美しい姿を真似る訓練で変わって来る。

ほんのちょっとの経験だけど、そう思う。

顔の癖である美人度は無理だけど、顔つきというのはまだ見込みはあるかもしれない。

何とかさんを思い出すと、苦虫を潰したような顔しか浮かばない・・

・・そんなふうにはなりたくないなぁと思うんだけどなぁ・・