ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「追跡 プロファイラー」

2012-07-22 19:40:07 | テレビを見て
レオナルド・ダ・ビンチのことを昨夜のNHK、BS「追跡 プロファイラー」でやっていた。

興味深かったのはダ・ビンチの最期の言葉?だったかな、

それが確か、「続いている」だったと思う。

それと、モナリザの絵についても面白かった。筆で線を描いていないという。

全部点描で描かれている。

人間を絵で表現すると、線では描けないものだというのを彼は感じていたんじゃないかと思ったよ。

それと完成品が少ないということ。

「続いている」という言葉も、絵が未完成のものが多かったというのも、

同じことを表わしてしまったのかと思う。

それは生命の在りようと全く同じだ。

いつも途中で、始まりも終わりもないというもの。
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展開

2012-07-22 18:12:25 | ひとの幸福
いろいろとここで考えてることを書いてる。

面倒くさい理屈はどうでもいいけど、

ひとは思うがままに人や物に接したらいいなぁと思う。

やるときは考えなんか要らない。それが思いっきり自分らしく生きることだから。

怒ったっていいし、冷たくしたっていいし、

怒鳴ったって、叩いたっていいと思う。

その時々に自分の思うように正直に行動するのが一番いい。

それで、一日の最後にでも、

自分がこんな気持ちでこうしたことがキッカケで、

どういう展開になったか、それを見るだけでいいと思う。

自分がしたこと、それがどういう展開に繋がったか、

そこをしっかり観察するだけでいいと思う。

どんなことも、こういう気持ちでこうしたら、自分や周りやどう“なった”か、

その時だけにその展開が現われるわけではないけれど。


観察とは、どう“なっているか”それを見ること。


どんなことでも本当に誰もがその時その時、思うがまま行動したらいいと思う。

迷ったっていい、迷ったことがキッカケでどういう展開になったか、

それを観るだけでいい。何もしようとしなくていい。

ただ、観察しなければ、

昨日や一昨日、過去と同じ現象が続くだけだ。

勿論それだっていけないことじゃない。

何をするのもしないのも自由だから。人は誰でも。

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「非業の生者たち」②

2012-07-22 16:21:31 | 新聞を読んで
また、勿論こういうことが起こったその前段階のことも観察しなければならないと思う。

日本兵が中国で酷いことをした。

何故そういうことが“起こった”のか。

何故日本兵がそう“なった”か、そこを見なければならないと思う。

軍隊はリンチやら、理由も無い腹いせみたいな暴力が横行していたのだろう。

いわれもない暴力が横行するような、そういう場に居たら、

ひとは必ずストレスを受ける。受けないわけがない。

そのストレスは自分より弱いものに向かう・・んじゃないか。

その時の日本軍という組織で、

兵隊は自分より弱者に暴力を振るった、

中国の女の人を辱めたその事でそのストレスを放していた・・んじゃないか。

いいとかわるいとかそういうことを云っているんじゃない。

そういうことが在ったのではないかと推察してるだけで。

軍隊はひとの本来性から基づかない事を多く強いた。

暴力を発する側も受ける側も、こんなのは本当の自分じゃない、

という本人も気付いていない心の叫びがそこには溢れていたろう。

今までのどの時代でもひとが残虐行為に走るように“なった”基は、

ひとを人として扱わなかった、それが始まりなんじゃないかと思う。

自由性、自主性、自立性、自律性を持つものである人間には耐えられることじゃなかった・・・

そのエネルギーは必ず出口を求める。

軍隊はひとの本来性から外れる風が吹いていた。

その時代、軍隊だけではなかったかもしれないけど、

特に軍隊という組織はそうなりやすい組織なんじゃないか。


軍隊に何故そういう風が吹くように“なった”のか、やはりその前がある。

その前には前の前がある。ずっーと過去に繋がっている社会の状態がある。

誰が悪い、日本兵が悪い、軍隊が悪い、軍隊を生んだ時代が悪い、思い込んだ人が悪い、

・・・なんて特定できない。

誰のせいでもなく、自分を含めた全体という幾千億人のせいでもある。のかと思う。

このことに限らないけど。
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「非業の生者たち」

2012-07-22 15:45:49 | 新聞を読んで
「非業の生者たち」
 
「集団自決 サイパンから満州へ」のサブタイトル。

下嶋哲朗・著。朝日新聞の今朝の書評欄にこれが載ってた。

終戦間近、沖縄での集団自決。何が人々をそれに駆り立てたか・・・

明治以来日本人の内面に刻み込まれた「強いられた自発性」に着目・・・・

・・こうあった。

米軍は女を陵辱して、男と子供は股裂きにするという話が沖縄に拡がった。

「日本兵が中国で残虐行為をして来たことの投影であり、『写し絵』だった」

という記述が載っていた。私もそう思う。

自分が持っているものの見方で他者を見るのはこういうことに限らない。

自分がそうしたとしても、他者もそうするとは限らない、

行為は状況との相互作用で変わって来るもの・・・ということがわかっていれば、

こんなことにはならなかったろうけれど。

当時、そういう思考は少なかったのかと思う。

そういう観察から、自ら死を選んだという自発性を、

「強いられた自発性」と著者は捉えているのだろうと思う。

そして、生きて辱めを受けるくらいなら死んだ方がいい・・

そういう考えがあったので、自ら死を選んだ。

「写し絵」が在ったがために多くの人が自ら死を選んだ。

そういう日本軍の心の投影が生んだ「話し」を真に受けて、(必ずそうなると思い込み)

多くの人は自ら死を選んだ。

心の投影が生んだ考え・・・がまことしやかに囁かれ、

それを聞いて、必ずそうなると思い込んだこと。

陵辱される事と死ぬ事で、死ぬ事を選んだ価値観があったこと。

この二つが無意識のうちにあり、集団自決という悲劇が起こったのではないかと思う。

続く・・
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