陶酔のパリ
時代を賑わしたサーカス興行のご紹介
時代を賑わしたサーカス興行のご紹介

エドモン・グロ 《サルタン・バンク(大道芸人)》1895年頃
19世紀末、サーカスはパリの芸術家や文学者、さらには上流階級の間で、娯楽を超えた芸術の一形態として熱烈な人気を博していました。動物や道化師、アクロバットはもちろん、派手な衣装やユーモアで場を盛り上げ、テント小屋は常に大勢の観客を迎え入れていたと言われています。
本展でご紹介しているアンリ・ガブリエル・イベルスもサーカスに魅了された芸術家の一人。サーカスの上演風景や出演している芸人など、サーカスを題材とする多くの作品を残しました。
左:アンリ・ガブリエル・イベルス《縁日(大道芸人)》1895年頃
右:アンリ・ガブリエル・イベルス《サーカスの扇子》1895年頃
※画像をクリックすると拡大します
このような芸人と若手芸術家たちは、孤独や不安を共有する存在として、また彼らの「神秘的なモラル」に基づく風変わりな生活を尊敬し合う存在として、強い結びつきを持っていました。
芸術家は次第にサーカスの「参加者」へと変わり、モンマルトルで頻繁に行われた仮装舞踏会で道化師や軽業師に扮しつつ、幻想と現実を融合していきます。

ピエール・ヴィダル《『モンマルトルの生活』の表紙》1897年
上の画像はモンマルトルの享楽を愛するボヘミアンを描いたもの。手前の牛は芸術家たちによって行われたパレード「怒れる雌牛」を表しており、右端の赤いスカーフの人物は上流階級への痛烈な風刺で人気を博した、歌手のアリスティド・ブリュアンです。
彼らはモンマルトルの空の下、道化師にはじまり、レスラー、手品師、軽業師などによる、諸々の出し物に郷愁を感じたり、大笑いしながら、自身の娯楽世界を広げていきました。
まるでパリ全体が一つの大きな劇場舞台の役割を果たしていたようですね。
「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展は、尾道市立美術館で9月25日 (日)まで開催されています。お見逃し無く!
尾道市立美術館
■JR山陽本線尾道駅から市内バス「市内本線東行」で約3分「長江口」駅下車
→千光寺山ロープウェイで3分「山頂」駅
■JR山陽本線尾道駅からタクシーで約10分
詳しくは尾道市立美術館アクセス情報をご覧下さい。