☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

「今」という時

2009-01-25 16:38:50 | 風話

以前はある意味で「大衆」を信じているところがあった。
わからないようでも時間はかかるが
時間をかけて向かう方向には確かなものがあるのでは…と。
 
しかしこう時流れの変化が激しいと
人は右往左往し目先に捉われてしまう。
今は、変化のとき!それを察知して動くには
大いなる「感性」と「知性」がいる。
大いなる目覚めの方向が大切なのだ!
それに気付くのに時間がかかった。
「大衆の力」が信じられなくなってガッカリしたのを覚えている。

だから今、今までの時代にもまして
「本当の価値」あるものに人が集まらず
あきらかに遅れていたり目先的だったりするものに
人の目が奪われても仕方がないし
それだからこそ人が多く集まるのだと気が付いた。
 
隣に「聖者」がいてもきっと気付かないだろう。
本当の聖者はきっと普段はある程度「振動率」の近いものにしか
見分けがつかない。
人には、ただのおじさん、おばさん、「ただの人」にしか見えないし
ひょっとしたら家族も気づいていないかもしれないとこの頃思う。
 
「聖者」にはお目にかかったことがないが(気付いていないのかもね。)
「知る人ぞ知る」という人には結構ご縁を戴く。
しかし地域の人や身近な人ほどそのカを知らないし
知ったとしても「あの人が、、、そんなはずがない」と
信じないだろう!
実際にそうなのだ。
だからこそ聖者やそれに近しい人は
自分を律して「本来の目的に向かう仕事」がしやすいのだろう。


今はじっくり力をためて直観を鍛え、
「感性」を磨くことや
「これ」と信じたことをやり続けるときなのだろう
やがては一筋の光がみんなのものになる時が来る。
なんて思ったりしている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする