駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

了解可能だろうか

2008年11月27日 | 小考
 不可解な恐ろしい事件が起きた。脈絡の繋がらない犯人の理屈に真相の解明が待たれると報道機関は困惑の表情を見せ、犯罪心理学の専門家と称する人達が自己顕示欲だとか、わかったようなわからないコメントをしている。
 私は一ヶ月経っても一年経っても、分からないことには変わりないと思う。ただ道筋を辿ることが出来るようになるだけだ。
 この事件には病理の範疇に入る心理が背景にあると思う。普通の人には了解できない理屈によって構成されている。了解は照合可能のことで、犯人には普通の人の心にはない動きがあると思う。卑劣といえばこれほど卑劣な犯罪はないのだが、卑劣という概念は普通の人間にも想像しうる範囲に入っているが、この犯罪はそれを超えている気がする。類推はある程度可能かもしれない。犯人が普通の人の心理に近寄って何か言うかもしれない。不思議な動機の状況証拠は積み重ねられるかもしれない。そうしたことを真相というなら、真相は解明されていくだろう。
 しかしそれでは、正面からこの病態に対峙することなく、皮相な解釈によっておぞましい事件としてやり過ごすことになり、未然に防ぐ対策は生まれないだろう。もとより、対策があるかどうか定かでないほどの難題と思うが、奇怪な事件簿に一例を加えて頁を閉じてはなるまい。刑事事件は犯人を挙げることによってほぼ解決するが、精神病理学者の仕事はこれから始まると思う。
 
コメント
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