駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

 一人できる範囲

2008年11月09日 | 診療
 ヘンリーフォードが編み出した大量生産という方法は同型の製品を比較的廉価に大衆に供給するには優れた方法なのだが、個別に対応したサービスや製品の場合には採用できない。個別は需要側だけでなく、供給側にも生ずる事象で、名人芸は名人にしかできない。
 医療の場合は二重(供給側、需要側)の意味で個別化が要請されるサービスのため、大量生産が難しい。頻度の多い急性疾患であれば、多数の医師がほぼ同様の医療を提供できるが、特殊な手技を要する比較的希な疾患には医師に特別な能力と技術が要求されるし、慢性疾患は同じ疾患でも患者の個性に対応しなければならないのでかかりつけ医が必要となる。
 町医者というのは名人芸ではないが、十年も続けていれば、掛かり付け医として容易には代理ができない存在になってゆく。いくらかでもそうして頼りにして頂けるのは嬉しく、働きがいになっているのだが、きちんと気持ちよく診察できる患者数には限度があると感じている。
 一日三十人位が身体的にはちょうど良いのだが、実際はその倍くらいを診ている。三十人でも米国の医師に話せば、ええそんなにたくさん診ているのかと驚かれる。本当の数を言ったら、ずいぶんいい加減な診療をしていると思われてしまう。米国の医師には理解し難いだろうが、日に最低三十人くらいの患者さんを診ないと冗談でなく生活ができない(負債の返済額や職員数で異なるが)。高いようでも日本の医療費は世界標準では廉価なのだ。
 幸い?、この数年病院を辞し開業された医師が周りに何人も居られるので、患者数も数%減少し、一息ついている。
 医師は患者さんを選ぶことができないし、しんどいのが妙に伝わって患者さんが減っても困るので、患者数が負担などは時々心の中でつぶやくだけで、来院される方を有り難く診させて頂いている。優しい患者さんもおられ、混んでいると先生大変ねと言ってくださることだし。
コメント
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