駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

これでいいのだ赤塚不二夫

2008年11月30日 | 小考
 四十年前、赤塚不二夫を現在進行形で読んだ。O君の下宿で文字通り腹を抱えて笑った。加藤芳郎や長谷川町子と違う、はちゃめちゃ問答無用な笑い。
 これでいいのだ、と叫く赤塚に微かな含羞を感ずる。突き上げる笑わせたい?情動に歯止めなく転がる軌跡に、これでいいのかという問いの瘢痕を遙か40年の彼方を振り返って認める。
 白刃の上でこれしかないから、これでいいのだと踊ったと喝破できる気がする。もう踊れないからタモリだったんでしょうと問えば、生言うなとキリンラガーの瓶が飛んでくるかな。
 妙に思われるかもしれないが「これでいいのだ」にクーベルタン男爵の「参加することに意義がある」が重なる。共に広い眺望の中で捉えなければ、安直に理解されてしまう言葉だ。赤塚は小癪な解釈をと糞尿を投げつけて拒否するかもしれない。クーベルタンは首肯してくれるだろう。
コメント (2)
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