駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

最高の賛辞

2008年11月14日 | 身辺記
 当院には地域医療研修の一端として研修医が毎年6,7名、総合病院から短期間研修に回ってくる。一日中顔突き合わせて数日を過ごすのは、気骨の折れるところもあるが、若い医師と親しく接する唯一の機会なので、喜んで引き受けている。
 指導といっても、最先端の医学知識があるわけでなく、町医者の行往座臥を見て貰うだけである。唯一誇れるのは旨い物をご馳走していることか。これは日頃、妥当な値段で、とても美味しい店を探してあるので、容易いことなのだ。
 僅か数日でも、人となりがかなり分かる。正直、玉石混淆と申さねばなるまい。しかし巷間言われるほど、この頃の若い医者はということはないと実感している。ほとんど全国のさまざまな大学から来ているので、その地方の話や当地の印象を聞くのも楽しい。医師の資質には地方や大学の差よりも、どのように育てられたかどのような環境で育ったかが一番効いていると思う。
 優秀で意欲のある研修医が私が痛恨の失敗から学んだアドバイスに耳を傾けてくれるのは嬉しい。そんなたかだか3,4日の町医者での研修など覚えてはいないと思われる方はお若い。自分は優秀だと生意気だった私に研修先の医師がそれはちょっとと注意してくれたことを何十年経っても憶えている。その先輩達にできなかったお礼を少しでもここで返せたらと秘かに思う。
 先日、研修医の一人からお礼の手紙がきた。「私は開業医は愛想良くしなければならないと思っていましたが、先生のように言葉少なく愛想は良くなくても、患者さんが沢山来るので、愛想じゃなくて姿勢だと考え直しました」。褒めているるような驚いているような率直な感想。しかしこれは私には最高の賛辞だ。
 それに今日は絵まで過分に褒めて頂いた。木に登って落っこちないように注意したい。
コメント (4)
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鑑賞するだけでなく

2008年11月14日 | 趣味
 趣味欄の末尾に絵画と記入することがあるが、鑑賞も実技も初心者の域を出ていない。芸術は感性の領域、中年になれば初心者など居ないとゆう考え方もあるかもしれない。ま正直、知識が不十分なので読み解く鑑賞はできず、うーんと眺めているだけだ。
 十年ほど前、長年の夢だった絵を実際に描き始めた。残念ながらすぐ業界の役職が回ってきて忙しくなり中断してしまった。3月一杯で辞めたので再開すればよいのだが、未だできていない。物事を始めるのに最初の一歩が重い。敷居があるのだ。それを越えさせる何かが満ちてくるあるいは何かが後押しをしてくれる時を待っている。どうも十歳年を取っただけだが、腰が重いのは残念だ。
 これは紅葉を描いた作品で秋になると待合い室に飾っている。どうも撮影日が曇っていたせいか、写真の腕が悪いせいか、実物の良さが出ていないのは残念だが、何となく感じは分かると思う。
 良い絵はどれかは人によって違うと思うが、良い絵は何かというのには共通点がある。盗んでも自分の物にしたい絵と州之内徹は呟いたが、それは州之内その人の性向で、多くの人にはその絵を鑑賞するために再訪させる絵と言えるのではないか。もう一度今一度見たい絵は良い絵だと思う。
 私の絵は絵を描かない人には評判がよい。日曜画家にもライバル心が働くのか、鑑賞眼が厳しいのか、絵を描かれる患者さんはたいてい、「ははーん」。でお仕舞い。残念だ。
 実は自分では満足している。指導をしてくださった先生がなかなかよく描けていると褒めてくれたからだ。
コメント (6)
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