駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

祝日明けの気分

2009年02月12日 | 身辺記
 今朝は足取りも重く出勤したのだが、医院の機器を立ち上げながらなんだか月曜日のような錯覚を起こした。あっそうか、今日は木曜日なんだ。余計に休日がある割には身体が重い。オーストラリア戦引き分けで、溜飲が下がらないせいか。まあ、あれは一つのサッカーの形でがっかりはしていない。
 一年くらい前から、時々登校拒否というか登院拒否症状がでる。あんまり働きたくないなあ,杳として行方知れずになりたいなどとは思わないが、もう少しのんびりしたいと思う。頭の片隅で、引退などという言葉が頭をかすめる。いつかは引退するわけだが、引き際は難しい。なにかきっかけというか徴候が現われば踏ん切りが付くだろう。
 一方、タオルが投げ込まれるまでという考え方もある。痛みや苦しみはつらいものだが、痛みや苦しみが消えるように祈るものではない。痛みや苦しみがなくなるのは命の終わる時だというユダヤのことわざもある。日本にはない凄みのある諦観を示す言葉だ。
 厭働気分があっても、不思議なもので機器が立ち上がり、おはようございますと患者さんが入ってこられると、ネジが巻かれ自然に身体が動き出す。環境の力だろうか。そんなわけで今日も一日働いた。風邪やインフルエンザは峠を越し、午後は5分10分の隙間がいくつかあり、キーボードを叩いた。やはり働けることは有り難い。 
 まあ一貫性はないがこうした心持ちは、多くの人に理解して頂けるだろう。どこかの首相のようにふらついているのにふらついていないと強弁する不適格露呈とは違う。
コメント
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