駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

票の重み

2009年09月04日 | 小考
 あちこちのメディアで二流三流の政治評論家達が新政権は小沢支配だと、訳知り顔に宣っている。どうしてそんな詰まらん見方しかできないのだろうか。そんなことはちょっと意地悪な心根の人なら誰でも言える。評論家は一般人が辿り着けない深い見方を分かりやすく解説するのが仕事のはずだと思ったが、政治評論は何時の間にか井戸端会議の意地悪おばさんレベルになった。
 掲げたマニフェストを実現するには効率よく機能する組織を作らねばならない。そのための適材適所を鳩山さんは考えているだけのことだ。
 民主党のマニフェストに国家観がないと非難する人の国家観を聞かせて頂きたい。国民の生活を第一にということを2009年の日本の背景状況の中で考えれば十分に優れた国家観であり声明になっている。大言壮語して、たいした能もないのに偉そうに振る舞えれば副作用がでて、無辜の人々が犠牲になるだけだ。
 阿片だと断じた本に滲んでいたのはヘロインではなかったか。
 毎日を汗水流して真っ当に働いていれば見えることがたくさんある。それに従って力を行使できることに国民は気付いた。
 民主党の躍進は自民党に対する落胆叱責の結果だという人は、言外に民主党への支持は仮のもので、復活してくる自民党を期待しているという意味合いを持たせようとしているのだろうが、それは票の重みを軽んずるものだ。自民党への見切りがあったのは半ば事実だろうが、仮の人生と言うものはない。現在を引き受けない人に政治は任せられない。
 投票結果を全身全霊で受け止めるのが政治家。政治評論家も同じ。寄り合いの争いとしか理解できない政治家や政治評論家は引退の潮時だろう。
 話が飛ぶが桝添さんに言っておきたい。突然、閣僚としての責任を感じるので総裁に立候補しないとは奇態な。今、この疲弊した自民党を立て直すのに、立ち上がらなくてどうする。政治家としての真贋が問われている。
コメント
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