春の陽射しの中を校庭の桜を見ながら出勤してきた。サッカーゴールポストの向こうに並ぶ桜は新学期を告げている。ソメイヨシノの薄桃色は本当に淡く、花弁は白に近い感じがする。この淡さを日本人はこよなく愛するのだろう。
子供達はわざわざ花見などしないが、校庭の桜は眼の奥に焼きつき、年を取れば必ず懐かしく思い出す。
東大が九月入学を検討すると発表した途端、他の大学でもぞろぞろと検討を始めたように報道されている。仄聞するところ世界標準に合わせ、学生交流を盛んにさせようと言うのが眼目らしい。なんだか尻尾が頭を振りまわすような話に思える。それは名目でとにかく変化をという機運が背後にありそうだ。何か動かないと停滞から抜け出せないという深謀遠慮が働いているように思う。
新学期の桜はどうなるかなどといえば、トロイことをと一蹴されるだろうか?。