氏より育ちというけれども、親子はどこかどうしても似てしまう。氏と育ちがどの程度の割合で混合されるか諸説があるようだが、私の印象では平時は育ち乱時は氏が出やすい。勿論、諸に生みの親に育てられれば、どうしてもあちこち似てしまう。
残念ながら、どうも悪いところが似やすい。どこがどう似ているかには女親の方が気付きやすく、男親は自分を棚に上げて、息子や娘が言い出したら聞かないしょうもない奴だなどとこぼすことがある。それは大変と相槌は打つが、内心あんたそっくりだと笑ってしまうことが多い。
それに、隔世遺伝というのもあって爺さん婆さんに似ていることもある。まあ、遺伝で決めつけられては敵わないが、大いに参考にはなる。気質だけでなく、外見も似るのでぎょっとすることがある。臨終の席に家族が集まることが多い。以前にも書いたことがあるが、ちょっと鼻筋が通ってはいるが特別二枚目というわけではなかった爺さんを囲んで泣き腫らした眼の娘や孫娘が、みんなぎょっと驚くほどの美人でたじたじとした経験がある。婆さんも今は皺だらけだがどこかに昔美形の面影がある、昔は美男美女のご夫婦だったのだろう。
面白いことに美女揃いの家の娘は、そうした顔を見慣れているせいか、自分のことをさして美人とは思っていないことが多い。要するに家族の中では並だからだろう。どうも目を見張る美人に先導をされると慣れないのであたふたしてしまう。ごく自然に玄関まで送って戴き深々とお辞儀をされ、なんだか恐縮したのであった。